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将門の現れた時代はまだ早すぎたのでしょうか? (yukariko)
2015-05-05 21:30:36
承平・天慶の乱で手柄を立てた貞盛・経基から5~6代下がった頃には平氏・源氏ともに武家の棟梁としてのし上がってきますが、将門達の頃の独立勢力は早すぎて朝廷側の勢力に潰されてしまうのですね。

「将門の首」が宙を飛んだ…とかいう伝説やたたり話がありますね?
お写真を見ると、今も大切に祀られているのですね。
 
 
 
大切に祀られています。 (sakura)
2015-05-06 08:25:45
平日というのに、次々とお参りに来る人が絶えませんでした。

それまでの日本は、この国は天皇だけが治めることができると考えられていました。
「実力あるものが天下をとる」と将門が宣言したのは、画期的なことでしたが、
将門には乱が成功し、坂東国を造ったとしてもその後の具体的な計画はなく、
彼に知恵を授けるブレーンもいませんでした。
将門は卓越した武人でありながら、政治家ではなかったのです。

将門も純友も朝廷に討伐されましたが、朝廷には常備軍はなく、
将門を討ったのは、征東大将軍に任じられた藤原忠文が募った武士です。

こうして武士が世の中を動かす時代となり、将門に追随したのが頼朝です。
 
 
 
何時も拝読しております。 (自閑)
2015-05-06 19:52:22
何時も拝読しております。地理に不案内な為、貴ブログは大変参考となっています。
将門の首塚は今でも祟りがあり、テレビの撮影などすると、カメラが故障して、撮影に支障が出ます。
昔、隣の銀行に入った時に、思わず納得しました。カウンターが入口から向かって横にあり、首塚には、尻をむけて座る行員がいないのです。客は尻を向ける事になります。
竹橋駅の公園(皇居の鬼門)に和気清麻呂公の像がありますが、首塚の方を向いています。
都市伝説のひとつかと。
又お邪魔致します。
 
 
 
自閑さま (sakura)
2015-05-07 14:40:04
ご訪問ありがとうございます。
将門伝説はテレビや新聞などでも時々取り上げられ、
昨年もNHK総合テレビで将門の首塚が放送されたのを興味深く見ました。

塚の隣の銀行では、塚に背を向けないように席がつくられているそうですし、
和気清麻呂公の胴像も首塚の方を向いているとか。
将門の怨霊は今でも恐れられているようですね。
 
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