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義仲、巴御前は郷土の英雄ですね。 (yukariko)
2012-04-25 23:19:57
武勇と名前はよく知っていても木曽と義仲の関係は全く知りませんでした。
頼朝と北条政子の恋とその後の展開は幕府を開いた後数々の争いを経て、北条氏にとって代わられる歴史を学ぶのでかなり覚えますね。

以前に芭蕉の墓の話から義仲寺を教えて頂き、尋ねて巴御前と思える女人が後世を弔った話を聞いて『そうだったのか』と感慨にふけったものですが、生い立ち、倶利伽羅峠の武勇など、義仲の事は本筋とは思われないのか、歴史書にも出てきませんね。

義仲館といい、橋の名を初め、彼にまつわる史跡がきちんと保存されているのを初めて知りました。

地元にとっては歴史に名を残した偉大な武人とその家来たちが自分達の郷土に生きていた証を大事にするのは自分達の誇りでもあったのでしょうね。

丁寧な説明と共に見せて頂けて、自分が訪ねたような気持ちになりました。
 
 
 
村は義仲一色です! (sakura)
2012-04-26 16:01:23
見て頂いた木曽郡日義は「義仲の里」と名乗るだけあって
史跡はしっかり整備されていますし、あちこちに道しるべもあるので
道に迷うこともなく気持ちよく散策できました。
義仲生誕地の埼玉県嵐山町や義仲の祐筆でブレーンでもあった
大夫房覚明が義仲討死後、移り住んだという広島県向島町
そして木曽郡日義などで「全国木曽義仲ゆかりの会」を結成し
いずれの地にも義仲について深く研究をされている方がいらっしゃるそうです。
yukarikoさんも訪ねてくださった義仲寺辺が義仲討死の場所で、
後に庵を結んで義仲を供養した尼僧が巴ということでしたね。
義仲をこよなく愛した松尾芭蕉が義仲寺に葬むるよう遺言し、
それにしたがって義仲の墓の隣に葬むられましたが、
芭蕉は義仲のどこに魅かれたのでしょうね。
 
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