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Unknown (Unknown)
2014-01-31 22:28:32
兵庫浦の沖に停泊している味方の船に逃れられたら助かっていた…といっても、舟は沖合のかなた、乗馬は駿馬でも泳ぎは達者かどうか、只でさえ重い鎧を纏ったままでは永くは泳ぐ事もできず、続々と現れる新手の源氏武者に呼び返されたり、溺れるよりはと取り囲まれて力尽きたのでしょうね。
その戦や語り伝えた古老の話と物語、土地の伝承が800年もの年月の間に渾然一体となって子供の守り神としてあがめられたり、お稲荷さんと一緒にして祀られたりという形で残ったのでしょうか。
いずれも現世のご利益と結びついているのが面白いですがその土地の庶民間の信仰は根強いでしょう。
 
 
 
そうでしょうね。 (sakura)
2014-02-02 12:35:12
海で溺れ死んだり、また逃げる途中、敵に討ち取られた者も多くいたことでしょう。
一の谷合戦で討たれた平家一門の主だった武将の中で、
現在でもよく知られているのは、敦盛・忠度くらいでしょうが、
彼ら以外にも多くの人物の墓や塚が建てられ、
その供養がされているのを順に見ています。
太平の世が続いた江戸時代には、庶民の間に旅行ブームが起こり、
観光案内書が広まり、平家一門の史跡や塚がこの案内書で紹介されたので、参拝する人が多くあったようです。

私が鎮守稲荷を訪ねた当日には、JR兵庫駅から平家の史跡を辿っているという
数人の団体が、経俊の説明板に見入っていました。


 
 
 
平家落人伝説 (世良 康雄)
2015-01-16 01:13:29
私母実家芳原家は、徳之島から神戸市長田区東尻池移住で、奄美諸島に平家落人伝説ありますが、福原京に戻る奄美諸島出身平家子孫は多いですか?

mixi RAMBO日記
Gree RAMBO日記
 
 
 
平家のご子孫の方のようですね。 (sakura)
2015-01-16 11:31:44
確かに奄美諸島各地に、平家伝承地が多くあります。
平資盛が逃れてきたという喜界島をはじめとして口之島・中之島等々、
口之島には、平頼盛の子仲盛と光盛の塚があり、中之島には、
清盛の孫平有盛の子孫が日高姓を名のって暮らしているとされています。

ご質問の件については申し訳ありませんが分かりません。
ネット上に平家の子孫、およびその伝承にゆかりのある方の
HP「全国平家会」があります。また平家末裔の方が活動されている会もあります。
「全日本平家会」連絡先上時国家 0768033-0171
何かお分かりになる方がいらっしゃるかも知れませんから、
どちらかの会に一度連絡を取ってみられてはいかがでしょうか。
「mixi RAMBO日記」「Gree RAMBO日記」訪問させていただきました。
 
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