コメント
 
 
 
きちんとした詳しい歴史は知らなくて… (yukariko)
2013-04-14 11:32:28
立派な橋に象徴される埋め立てで形成された大きな工業地帯に今も残るお寺がわずかに昔を語り伝えているのでしょうか。
史跡を廻られると埋め立てで昔の面影など全くない戦跡の落差に感無量となられるでしょうね。

お能や謡曲の「藤戸石」醍醐寺の「藤戸石」で倉敷あたりでその基になった合戦があったのは少し知っていましたが、武者は「盛綱?」で源氏方の勝利の筈だったから『はて?』
年号と武将の名前から同じ源氏でもこちらは義仲軍だし、翌年のあちらはまた後で出てくるのでしょうね。
 
 
 
藤戸合戦は、大分あとになりそうです。 (sakura)
2013-04-15 14:51:26
都を追われた平家が屋島に本拠地をおいたことから
現在の倉敷市が源平の二つの古戦場となりました。

柏島・乙島、藤戸合戦の児島半島も当時は島でした。
藤戸海峡から浮き出ていた巨石が藤戸石で、
かってこの石があったところも今は田園になっています。
法住寺合戦で後白河が義仲軍に敗れると、源氏同士のつぶしあいになり、
範頼・義経軍が都に入ってきます。
この時、宇治川の先陣争いで先陣を果たしたのが佐々木四郎高綱。
藤戸で先陣を遂げる佐々木三郎盛綱の兄でともに武名が高い兄弟です。

水島古戦場では、常照院の境内から柏島あたりを遠く眺め、源氏軍がここから平家の動きを偵察していたのかな?と当時を思い起こしていました。
 
 
 
常照院 (suu)
2013-05-08 11:41:46
はじめまして、常照院の境内にある八幡神社では、毎年9月に源平水島合戦の慰霊祭をしております。 地元の者としては、こんなところまで来て頂いて嬉しいかぎりです。こちらは、地元のものでもあまり知られていないかなりマニアックな場所ですからね。 ブログなどで紹介して頂いてもう少し有名にでもなればよいのですが、観光地とかでは無いですから仕方ないですよね。
 
 
 
八幡神社 (sakura)
2013-05-09 10:32:58
ご訪問ありがとうございました。
常照院への道の途中に古いお社がありましたが、
今思うとこれが八幡神社だったのでしょうね。
ここで830年も前の源平水島合戦の慰霊祭を行ってらっしゃるのですね。
倉敷観光協会に問い合わせて、
常照院へはあまり迷わずに行くことができましたが、
下調べが不十分だったようです。
本当に残念なことをしました。
 
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