コメント
 
 
 
顕彰碑の揮毫が小笠原長生だったので… (yukariko)
2013-12-04 22:23:26
司馬遼太郎の坂の上の雲の中で秋山真之との交友が描かれていたと思うので、何だか知った人に会った気がしました(笑)
「梶原の二度の駆け」で無事嫡男を連れ戻った景時は良かったけれど、息子平知章が親の新中納言平知盛を助けようとして監物太郎と共に討たれ、その隙に敵を躱し舟に逃れ助かったけれど、舟の上で知盛は涙にくれた…というくだりは本当に胸を打ちますね。
 
 
 
yukarikoさんの愛読書でしたね。 (sakura)
2013-12-05 17:13:45
私は「坂の上の雲」を読んだことがないのですが、
NHKで数年前の年末に放送された「坂の上の雲」のドラマは見ました。
二三年に亘ってのドラマで登場人物も多かったので、
小笠原長生の名は記憶にないのですが、きっとこのドラマにも登場されたことでしょうね。

 
 
 
知らない街のお墓 (こまち)
2017-07-11 15:47:03
私は神奈川県出身ですが、情報化社会の中こうして、
知章のお墓に参ることができた。
平家のことはよく知らないけど、いつも不安が好きな、
知章が好きでたまらない。
神戸の地で眠っているなら、供養の為に手をあわせたい。
 
 
 
ご訪問ありがとうございました (sakura)
2017-07-12 09:51:33
そうですね!インターネットを利用して、お茶の間に居ながら
世界中の画像や動画がたっぷり見れるようになりましたね。

さて、こまち様は知章ファンでいらっしゃるとか。
敦盛と同じ16歳で出陣した知章は、父知盛の身替りとなった公達だけに
その最期は敦盛にもまして哀れです。知章が父の命を救った話は、
「謡曲知章」によっても知られていますが、
敦盛ばかりに人気が集まるのは、敦盛を討った熊谷直実が
わが子と同じ年頃の公達を討ったことがもとで、
出家したという話が人々の同情を集めたのだと思われます。

神戸村野工業高校の傍にも「源平合戦勇士の墓」と名付けて知章の墓が祀られています。

また神戸村野工業高校のグラウンドを挟んだ路地裏には郎党の監物太郎の墓があります。

リンクしておきます。よかったらこちらもお参りしてあげてください。
 
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