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国司に任じられる家司と武士団の棟梁 (yukariko)
2009-03-08 23:48:16
国司に任じられ摂関家に家司としてまめまめしく使える下級貴族の一面と、地方の所領を経営し、配下に多くの武士を抱えて武士の棟梁として生きる生き方と、幾つもの分かれ道をどう選ぶかで、摂津源氏、河内源氏それぞれ隆盛や衰退があるのですね。

…もちろん平氏も摂関家に仕え院などへの貢物で気に入られるのを足がかりに片方の貴族に味方する事で勢力をのばしていった訳ですが…

一番TOPの摂関家だけでなく、それに仕える家司クラスも縁故を辿るとすごく入り組んだ姻戚関係になっていますね。平井保昌と満仲が義兄弟だなんて!

狭い都で血縁・姻戚を辿ると互いにどこかでつながっている社会は息苦しくて辛いでしょうね。

ときめいている人々をねたみ羨む人がいて、どこかで陰謀や策略が途切れる事なく行われている…いつの時代も同じでしょうが…。
 
 
 
名門貴族の誇りを捨てて保昌は道長に仕えました。 (sakura)
2009-03-09 15:53:48
道長も保昌を都に近い国守にして経済的に有利になるよう計りました。
保昌の祖父、曽祖父は文官の出ですが、その祖先を辿れば
坂東を基盤とする軍事貴族でした。
保昌の祖父以後軍事貴族の血が顕れたようです。
保昌の弟はしばしば殺害事件をおこしたり盗みを働いています。

頼信が東国に進出したのは、祖父経基、父満仲、叔父満政たちが
武蔵・常陸の国司を務めたときの地盤とともに保昌の
兄妹である母方の地盤もあったのです。

源綱はのち攝津国渡辺の津を拠点とした武士団渡辺党として
頼政に仕える渡辺競・省・唱の祖先です。
源頼政に従って平家と戦った渡辺氏は、平家滅亡後、鎌倉殿の御家人となります。
嵯峨源氏は代々一字の名をつけたので分かりやすいと思います。
 
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