コメント
 
 
 
和泉式部のお話の最後の相手として出てきますね。 (yukariko)
2015-09-26 18:03:32
彼と結婚し丹後に下ったけれどその結婚生活はあまり幸福ではなかった…保昌も道長の勧めに従っただけ…と続くのでしょうか?
でも保昌も橋渡しをされた最初の頃は世に名高い「和泉式部」とは?と興味を示して文や歌もやり取りし、女房仲間とのやり取りからおねだりされたのかな?と…祇園祭でこの山を見ると思います。

でも清少納言の兄が保昌の家人だった…びっくりですが、狭い貴族社会だから入り組んだどこかで親戚というのもあるのですね。
 
 
 
生野の道も遠いですが (自閑)
2015-09-26 23:25:07
古今著聞集は鎌倉前期と言うことで、実は最近学び始めた平家物語より、学んでおります。
昔は醜聞を流した(紫式部日記)和泉式部を高齢の保昌がまいってしまった。式部は保昌のレベルに満足できなかったのかも。
式部と清少納言は親戚で、ちょっとHな和歌も取り交わしています、
大江山は、生野も大変かと思って未だ踏みもせずいます。
貴船神社の御札を買った次の日、水を出しっぱなしにして出勤してしまい、さすが雨の神様が望んだんだと思いました。先月も一天貴船山が掻き曇り、雷雲となって、神泉辺りにどしゃ降り降臨してました。
愚詠
千早振る神の御魂かと雨降るに古しき舟出し泉に行かむ
(振る降る古。和泉、式部、貴船の折句。)
 
 
 
yukarikoさま (sakura)
2015-09-27 09:21:02
和泉式部は小式部内侍をかかえて生活を安定させたかったため、
道長に勧められて平井保昌と結婚したのだと思っています。

保昌もさまざまな悪い噂があるものの、歌人として有名な
式部を妻にしたかったのかも知れませんね。
 
 
 
自閑さま (sakura)
2015-09-27 09:49:27
短歌もお作りになるのですね。
詞書、思わず笑ってしまいましたが、
新古今集の和歌を目ざしてらっしゃるだけあって、歌はお見事です!

ところで和泉式部と清少納言は親戚なのですか。
貴船で和泉式部が詠んだ和歌は「古今著聞集」の中に引かれているのですが、
近頃はその説話集にまで手を広げていらっしゃるそうですね、
旺盛な知識欲に感心しています。

次のことは私よりよくご存知と思いますが、
説明のため書かせて下さい。
道長は一時定子の中宮大夫でしたから、定子サロンの活発な
文化的な雰囲気をよく知っていたと思います。
影子入内にあたって、道長は影子の女房に才気の優れた女性を探し、
その一人に和泉式部は選ばれています。
また、式部は為尊親王、その死後は
敦道親王との間で相聞歌をやりとりしています。
保昌は武勇の人ですし、そういう面で式部は満足できなかったのではと思っています。
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。