コメント
ようやく高倉宮の主が分かりました!
(
yukariko
)
2008-06-17 20:16:10
「高倉宮趾碑」の石碑は京都文化博物館に行く時目にしているのですが、京都大丸横の高倉通に建っていた屋敷だから高倉宮なのかしら?思い当たる宮様がないし??と思っていました。
横に立つ「明治天皇行幸所…」の石碑があったので、そちらの関連としか思いつきませんでした。
具体的な場所が分かると、その人物が生きて動き出すような気がしますね。
次回三条烏丸に行った時は心して見ますね。
コメントありがとうございました!
(
sakura
)
2008-06-19 13:12:13
以仁王は三条高倉邸に住んでいたので、三条宮・高倉宮とも呼ばれ、
御所趾は、現在の京都文化博物館、中京郵便局、子供相談センターパトナ(元初音中学校)に
あたりますが、高倉宮と以仁王とを結びつける人は少ないでしょう。
駒札でも立てて一言説明してほしいところです。
この後、謀反が平家方に分かり以仁王が三井寺に逃げ、信連が御所の総門(三条大路)、小門(高倉小路)を開いて
役人を待ち受ける場面等を京都文化博物館辺に立って
イメージすると
本当に物語も人物も活き活きと動き出すような気がします。
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横に立つ「明治天皇行幸所…」の石碑があったので、そちらの関連としか思いつきませんでした。
具体的な場所が分かると、その人物が生きて動き出すような気がしますね。
次回三条烏丸に行った時は心して見ますね。
御所趾は、現在の京都文化博物館、中京郵便局、子供相談センターパトナ(元初音中学校)に
あたりますが、高倉宮と以仁王とを結びつける人は少ないでしょう。
駒札でも立てて一言説明してほしいところです。
この後、謀反が平家方に分かり以仁王が三井寺に逃げ、信連が御所の総門(三条大路)、小門(高倉小路)を開いて
役人を待ち受ける場面等を京都文化博物館辺に立って
イメージすると
本当に物語も人物も活き活きと動き出すような気がします。