コメント
 
 
 
貴族とは違う人情に厚い武士の典型だったのでしょうね。 (yukariko)
2012-05-04 17:55:35
乳母とその夫の一族が全力を挙げてバックアップし、その代わり政権でも力を持つのが当たり前で、源家三代もそうですね。
中原兼遠も乳母を頼ってきた駒王丸に乳兄弟の自分の子を忠実な郎党として付き従わせ、智勇兼ね備えた武将に育てあげて、その後ろ盾として信濃の国の一大勢力として京に登るのを夢見たのでしょうね。

義仲の挙兵をその目で見て翌年亡くなったなら、源氏が合い争う所までは知らずに済んだかしら?と思いました。
巴は途中までですが、樋口兼光・今井兼平は最後まで義仲に従ったのでしょうね。

実の弟でさえ次々に殺してゆく頼朝の権力志向なやり方は、同じ源氏なればこそなお、随所での義仲にたいする容赦ない仕打ちで、従った一族郎党にすればひどい仕打ちと写った事でしょう。

朝日将軍とうたわれた義仲の栄枯盛衰も物語の中の華でしょうけれど。


 
 
 
木曽殿最期の時 (sakura)
2012-05-05 14:39:48
つねに義仲の傍にいて義仲を支えた樋口兼光は義仲討死の時は、
都を離れていて急を聞いて引き返すも間に合いませんでした。
以仁王の令旨を義仲に伝えた源行家はやがて義仲のもとに身をよせ共に戦いますが、
平家物語の中では常に敗軍の将として描かれています。
平家一門を都から追い落とした義仲は行家とともに上洛しますが、
義仲が西国に下向すると行家は後白河院に義仲の悪口を繰り返し、
義仲とは不和となります。長野城で討ちもらした行家を追って
樋口兼光は河内長野から紀伊国名草への途中、都に戦あり。と聞き
急ぎ淀まで引き返して来た時、今井兼平の下人に行きあい、
義仲は討たれ、今井兼平が自害したことを知りました。
 
 
 
お参りに行きますね (Tsune)
2014-10-18 12:35:38
松本のお墓参りから戻り 報告がてら弟に電話。 雑談の中で私が 近いから木曽にも一度回ってみたいなと言いますと おじいちゃんの祖先は中原善仲っていう人だよとのこと。で 調べてみました。 

きちんとしたサイトでありがたいです。写真も臨場感があり、絶対行ってみたくなりました。
 
 
 
コメントありがとうございました。 (sakura)
2014-10-19 10:14:27
Tsuneさまのご先祖は中原兼遠にご縁のある方なのでしょうか。
ぜひ一度お参りなさってください。

名古屋から中央線で木曽路に入ると山あいをぬうように走る
列車の窓から見え隠れする色鮮やかな紅葉を印象深く思い出します。
 
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