コメント
 
 
 
気持ちが穏やかになった日々を送られたかと思いましたが…。 (yukariko)
2016-07-24 16:25:35
役人が多くいれば監視する咎人に良かれと思って融通を利かす人よりも中央の上司に媚びて些細な事を杓子定規に解釈して小うるさく言う役人も多かったでしょうから
新たに御所を新築されても、より窮屈で暮らしにくくなって、この僻地に置かれたまま、年老いて死ぬまで放置されるのかもと疑心暗鬼にかられる日々であったことだろうと思います。
そりゃ仏道修行に明け暮れもしますね。
 
 
 
讃岐国 (揚羽蝶)
2016-07-24 22:56:13
 崇徳上皇といえば、大河ドラマ 平清盛で上皇役を
演じた井浦 新さんの、イメージがあり鬼気迫る演技には、おどろおどろしいものがありました。やはり無念の死を遂げられたため、後に怨霊となって恐れられました。
ここ讃岐の地で、菅原道真公も五年間在任されたとは、何か不思議な縁を感じます。
また平家都落ち後の拠点となった屋島にも近いですね。
 
 
 
Yukarikoさま (sakura)
2016-07-25 16:06:46
国府の役人の監視を受けるため、こうした場所が配所に選ばれたと思われますが、
「崇徳上皇ゆかりの地 四国讃岐坂出市」HPには、次のように書かれています。

「崇徳上皇は雲井御所(坂出市林田町)から、鼓岡(同市府中町)に移られました。
この区間およそ4kmで、車で15分程の距離ですが、
当時は移動に2日程かかっています。
これは、五色台(山)と城山の間に山があった為で、
古い文献にこの山の土を埋め立てに使ったと記されています?」

そうだとすると、これまで綾高遠の隣に住み、
綾家は一家をあげて上皇に何かと気を配っていましたから、
寂しいながらも気が紛れたでしょうが、ここは遠すぎます。

 
 
 
揚羽蝶さま (sakura)
2016-07-25 16:10:36
今は学問の神として崇められていますが、宇多天皇の下で異例の昇進を遂げ、
右大臣にまで上り詰めた道真の怨霊伝説も有名ですね。
日本三大怨霊といわれ、人々に恐れられた三人の内、
二人までがこの地に縁があったのですね。

お察しの通り、讃岐府中は高松市の屋島に近いです。
予讃線坂出駅―八十場(やそば)駅―鴨川駅―讃岐府中駅―国分駅(高松市)
こんな位置関係です。

崇徳上皇役の井浦新さんは、もともと上皇が好きだったので、
プロデューサーからこの配役の話があった時、「どうして選んでくれたのですか。
以前、僕が上皇に興味があると話しましたか?」と聞いたというエピソードがあります。
この役はセリフが少ないため、難しかったと思いますが、
ファンと仰るだけあって鬼気迫る演技を見せてくれましたね。
 
 
 
讃岐国庁と言えば菅原道真も有名ですよね (自閑)
2016-07-29 05:45:46
讃岐国庁と言えば国司だった菅原道真も有名ですよね。白牡丹の詩から、中国渡来の牡丹がその当時からあった事が分かります。
監視の目が一段と厳しくなった木の丸殿で崇徳院の後悔に苛まれた日々を思うと仏道に専念していた事が頷けます。
また、この地で髪も爪も切らず都を恨んで、特に実の弟の後白河院を恨んで、後の怨霊と化したのですよね。
 
 
 
讃岐国司 (sakura)
2016-07-29 09:25:58
菅原道真は当時の讃岐の様子を多くの漢詩に残し、
古代の松山の津、讃岐を知る手掛かりになっています。
偉大な先人です。

鳥羽草津から上皇に同行した讃岐国司藤原季行や
讃岐まで供をした上皇の乳母子、兵衛尉能宗辺りから漏れ、
出発の際の上皇嘆きの場面は、都の話題になったようです。
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。