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わたしも祟りが怖いので (自閑)
2015-05-22 06:59:06
わたしも祟りが、怖いのでご紹介頂いた京都神田明神にお参りして来ました。
四条大納言公任の邸があったのは、知っていましたが、小さな路地まで気がつきませんでした。
後、祟りと言えば、崇徳院ですね。又、訪問致します。
 
 
 
早速、お参りして下さってありがとうございました。 (sakura)
2015-05-22 09:30:25
そうでしたね。
崇徳院は日本最大の怨霊とよばれるほど人々に恐れられましたが、
その怨霊はどのように鎮められたのかという観点から、
後に見ていきたいと思います。
またよろしくお願い致します。

 
 
 
道真公よりよほど怖いですね! (yukariko)
2015-05-22 22:01:22
民の窮状を見かねて立ち上がった将門、力の弱い多くの人々が将門に寄せた期待は大きく、朝敵とされても地元では郷土の勇士だった…立ち上がった最初の憤りは政治に対する公憤でしょうし、処刑の後で祀られても度々引き起こされた祟りの大きさは道真公の雷どころじゃないですね。
科学万能の現代でさえ畏怖・畏敬の対象というのが本当にすごいと思います。
 
 
 
天神さん (sakura)
2015-05-23 09:52:48
菅原道真は、現在は学問の神として親しまれ、
かつて怨霊であったことを知る人は少ないかもしれません。
それは北野天満宮や大宰府天満宮に祀られて道真の霊魂が鎮められ
怨霊という側面が薄くなり、多くの人々が道真を
学問の神として崇めているためと思われます。

将門は朝廷に反逆したものの、討取られてしまったという
悲劇的な側面に人々が深く同情し、将門に関する
さまざまな伝説や文芸作品が作られたのでしょう。

徳川幕府は関東一円の民衆に敬愛されている将門を祀る
神田明神を手厚く保護し、討幕運動を封じ込めるのに利用したという見方もあります。
とにかく将門伝説は今でも生き続けているようですね。

 
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