コメント
 
 
 
「切り通し」という言葉がぴったりの道ですね。 (yukariko)
2013-05-01 23:14:03
鎌倉に通じる切り開かれた狭い道を切り通しというのでしたね。
歴史的には大事な場所でしょうが、見た感じではうら寂しい人通りもなさそうな道ですね。
しかも地図で見れば霊園とお寺の裏山だから淋しいのも当たり前でしょうか(笑)

記事の場面撮影にわざわざ行ってくださってありがたい事です。
その名水の湧水?が今も残るというのは、土地の人々に大事にされていたからでしょうね。
 
 
 
狭くて静かな山道です (sakura)
2013-05-02 14:05:01
十二所神社から少しバス道を引き返すと、頼朝の重臣大江広元屋敷跡(碑がたっています)や
梶原景時の別邸跡もあり民家も建ち並んでいます。
この道は頼朝の時代には六浦(横浜市)や房総半島に通じる道として
また東国の物資を鎌倉に運搬する経済ルートとして重要な道でした。
十二所神社から三郎の滝へ、そこから横浜市金沢区に向かう道を少し歩くと
おさっしの通り人気のない寂しい道でした。
切通しは北条泰時の時代に整備された道ですが、
朝比奈切通を一晩で造ったという朝比奈三郎は『源平盛衰記』には
三郎の母は巴と書かれています。また巴の後日談で触れたいと思います。
太刀洗の水は鎌倉にしては珍しい湧水と上総介や景時の屋敷が
近くにあることから結び付けられた伝承でしょうね。
 
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