コメント
 
 
 
院の近臣として時めいた貴族が一転して… (yukariko)
2018-08-12 19:45:56
鹿ヶ谷の謀の場での言動を聞いた清盛の憎しみを受けて鬼界島への流罪となり、その配流の旅で時化に会い、命からがら助かったけれど、その最中に仏に対し『助かったら出家します』とでも祈ったのではないでしょうか。
だから出家して世を捨てて、安らかになった心持ちを読んだのでしょうね。
後に許されて京に上っても世捨て人のままに亡くなったのはもうこりごりだったのではないでしょうか?
 
 
 
物語は恩赦を熊野信仰によるとしています (sakura)
2018-08-16 13:45:57
流罪人が追い詰められてにわか出家をする例は多く見られますが、
康頼の場合は少し違うような気がします。

物語の中で康頼は、藤原成経とともに熊野信仰に篤い人物として描かれ、
配流にあたって紫野に隠棲する母親にも信仰を勧めています。
赦されて島から戻ると、東山双林寺にあった自分の山荘に落ち着き
和歌と説話をおりまぜて仏の教えを説く『宝物集』を著しています。

のち頼朝に阿波国麻植保(おえほ)の保司(ほじ)に任命されて赴任すると、
20年ほどの間に玉林寺や熊野神社、補陀洛寺などを建立しています。

お返事が遅くなって申し訳ありませんでした。

 
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