コメント
お疲れ様です。
(
揚羽蝶
)
2018-12-14 17:51:06
ひとつ前のブログの磐田市連城寺の平清盛、重盛両公の供養塔等yukariko様も書かれているように、すごく分かりにくい場所にあるのに良く調べておられると思います。
大阪市の田辺にある法楽寺については、地元ながら、知りませんでした。信心深い重盛公ゆかりのお寺だったのですね。平家だけでなく、源氏の菩提も弔ったのは流石です。また、近いうちに行ってきます。
敵の菩提を弔うとは心優しいですね。
(
sakura
)
2018-12-15 18:03:11
四天王寺の南門、庚申街道沿いに現存する法楽寺への道標は、
天下茶屋を経て熊野街道を下り一日がかりで参拝する人が
市中に多かったことを意味しているそうです。
江戸時代の摂津国の観光案内書「摂津名所図会」には、
法楽寺の全景が描かれています。
(拝観パンフレットにその一部が載っています。)
名所図会の普及により、当時は今よりもずっと知名度の高いお寺だったのでしょうね。
法楽寺では、十二月二十八日のしまい不動で大根炊きが参拝者にふるまわれます。
年末何かとお忙しいでしょうが、お時間があればぜひお出かけになってください。
連城寺の平家の拝み墓は、確かに分かりにくい場所にありましたが、
もっと分かりにくかったのが源希義の墓です。
広い林の中を駆けまわってやっと見つけました。
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大阪市の田辺にある法楽寺については、地元ながら、知りませんでした。信心深い重盛公ゆかりのお寺だったのですね。平家だけでなく、源氏の菩提も弔ったのは流石です。また、近いうちに行ってきます。
天下茶屋を経て熊野街道を下り一日がかりで参拝する人が
市中に多かったことを意味しているそうです。
江戸時代の摂津国の観光案内書「摂津名所図会」には、
法楽寺の全景が描かれています。
(拝観パンフレットにその一部が載っています。)
名所図会の普及により、当時は今よりもずっと知名度の高いお寺だったのでしょうね。
法楽寺では、十二月二十八日のしまい不動で大根炊きが参拝者にふるまわれます。
年末何かとお忙しいでしょうが、お時間があればぜひお出かけになってください。
連城寺の平家の拝み墓は、確かに分かりにくい場所にありましたが、
もっと分かりにくかったのが源希義の墓です。
広い林の中を駆けまわってやっと見つけました。