コメント
 
 
 
高野山も時代と共に変わっていったのですね。 (yukariko)
2014-08-24 17:35:40
高野山は寛容に他宗を受け入れ、宗派を超えた霊場となったけれど、時代の移り変わり、時の政治と密接に連動して主たる宗派も様々に変わったのですね。

修行性の強い道心のある隠遁者→時宗聖→南北朝以後娯楽的・芸能的色彩の強い踊り念仏で高野聖の俗悪化要因→踊念仏の禁止、真言密教の教学の充実。

その後、織田信長の高野攻め・高野聖の処刑→徳川時代の空海の教え、真言帰入令と聖の定住化と順を追うだけで大きく変わっているのが分かります。
でも庶民の心には千年前から高野山は変わらず大きな存在であり続けたのでしょう。
 
 
 
高野山は真言宗の総本山です。 (sakura)
2014-08-26 14:24:49
しかし高野山がかつて念仏や浄土信仰の山であったことは今日忘れられています。
高野山と庶民をつないだ高野聖が弘法大師信仰を広め、
奥の院に墓を建て遺骨を埋葬する信仰を広める上でも大きな貢献をしました。
そして今日奥の院は「天下の霊場」の名をほしいままにしています。

私の実家は日蓮宗ですが、「妙法蓮華経」を読む前に、
真言を説いた「般若心経」を唱えます。
小学生の頃、高野山に参拝し宿坊に泊まったこともあります。また郷里では「お大師さま」のお祭りもあり随分
賑わいました。弘法大師信仰が全国津々浦々まで浸透していたのですね。
 
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