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黒ラブのいる生活様が宇和島の (自閑)
2020-05-08 13:18:29
ご無沙汰しております。どうにも動きようの無い昨今ですね。
同じgoo blogの宇和島の黒ラブのいる生活様が、壇ノ浦後の落武者狩りの五郎吉武の悲劇を伝えた遺跡を紹介していましたので、お知らせします。
引き篭り状態で、昔の写真からblogを書こうとした中に、静岡市清水区の田子ノ浦に義経伝説を伝えたものがありました。既にご存知かと思いますが、紹介いたします。
拙句
晴れ渡る富士の裾野の鹿の子かな
(伊勢物語東下の本歌取りです。)
 
 
 
いつもありがとうございます。 (sakura)
2020-05-09 11:02:30
宇和島の遺跡も田子ノ浦の義経伝説も知りませんでした。
全国平家会編「平家伝承地総覧(愛媛県)」を開くと、
宇和島市石応堂崎には壇ノ浦から逃げてきた官女たちが
堂崎鼻で斬殺された云々の記事が載っています。

宇和島は壇ノ浦のすぐ東に位置するためでしょうか、
平家落人伝説があちこちに残っているようです。

♪田子の浦ゆ うち出でてみれば ま白にぞ富士の高嶺に 雪は降りつつ ですね。

「宇和島の黒ラブのいる生活」さまは、のちほど訪問させていただきます。

思うようにいかない状況が続いています。
 
 
 
私には意味不明でしたが、アップいたしました (自閑)
2020-05-09 13:00:20
Sakura様
私には意味不明でしたが、源義経が最初?奥州に行く際、蒲生木之内家に立ち寄ったとのこと。浄瑠璃姫と言う女性が出てきますが私には関係が分かりませんでした。
ご覧頂ければ幸です。自主隔離が長く他にすることが無いです。
 
 
 
お知らせありがとうございました。 (sakura)
2020-05-10 09:54:24
拝見させていただきました。

鈴木亭「源義経と源平の合戦」河出書房新書には、
浄瑠璃姫と義経の伝説や岡崎市誓願寺にある浄瑠璃姫の墓の写真が掲載され、
浄瑠璃姫を浄瑠璃の起源とし、ここから人形浄瑠璃に発展したとあります。

ご存知のように「平家物語」は義経の前半生についてほとんど語っていません。
「平治物語」「義経記」謡曲「熊坂」「参考源平盛衰記」などが組み合わさり、
説話が説話を生んで義経(牛若丸)奥州下りの説話が生まれたようです。

岡崎市HP西三河ぐるっとナビには、
次のように書かれています。

牛若丸(源義経)と兼高長者の娘浄瑠璃姫の、美しくも悲しい恋物語です。
承安4年(1177)、牛若丸は、奥州平泉の藤原秀衡を頼って旅を続ける途中、
矢作の里を訪れ兼高長者の家に宿をとりました。

ある日、ふと静かに聞こえてきた浄瑠璃姫の琴の音色にひかれた義経が、
持っていた笛で吹き合わせたことから、いつしか二人の間に愛が芽生えました。

しかし、義経は奥州へ旅立たねばならず、矢作を去りました。
姫が義経を想う心は日毎に募るばかりでしたが、添うに添われぬ恋に、
ついに菅生川に身を投じて短い人生を終えました。

姫の墓や遺品は、誓願寺、光明院に残り、悲しい恋を偲ばせてくれます。
また、成就院と安心院は浄瑠璃姫の菩提を弔うために創建されたと伝えられます。

さらに「愛知県岡崎市公式観光サイト 岡崎ナビ」には、
浄瑠璃寺の写真や物語がUPされています。
 
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