コメント
 
 
 
さすが石材の町 (自閑)
2016-02-27 16:58:20
sakura様
さすが石材の町。碑も大石を使って 目立ちますね。加工も並みの歌碑には 見られない立派な物。

ここで私が注目したのは、やはり句碑。
「夏草や」で誰もが思う芭蕉の平泉の「強者どもが夢の跡」。これを本歌取りして屋島の古戦場を強くイメージさせ、更にあり得ない「髑髏」をもしかしたら…と思わせる。
お遍路が春の季語と言うのも、松山出身の子規、虚子、碧悟桐らの影響ですね。
久保不如帰と言う俳人は知りませんでしたが、大変興味を覚えました。
 
 
 
地図と案内をもって歩いたら実感出来るでしょうね。 (Yukariko)
2016-02-28 00:06:03
石碑や説明の駒札を読んでその昔に思いを馳せたら
敵味方の思いが胸に響くでしょうか?
追われ追われて落ち着かない日々を仮の住まいで
暮らした女性達の嘆きの声が聞こえてきそうです。
 
 
 
自閑さま (sakura)
2016-02-28 08:44:16
さすがですね。
お上手な句評に感心いたしました。
機会をみては俳句をお読みになるだけあります。

洲崎寺の境内には、屋島合戦の模様を描いた数多くの説明板があります。
石の町にふさわしく、すべて石造りです。

 
 
 
Yukarikoさま (sakura)
2016-02-28 08:46:34
内裏や御所を焼かれ、御座船を御所としなければならなくなった
平家の総大将宗盛は、幼い天皇を抱えて不安にかられる
女院や女官たちを慰めることに神経をすりへらしていたようです。
 
 
 
先祖 (銀次郎)
2019-07-01 08:19:10
久保不如帰は実父の伯父でした。まさか、そんな歌を詠んでいたとは知りませんでしたが、洲崎寺は久保の菩提寺です。
 
 
 
銀次郎さま (sakura)
2019-07-01 14:19:31
ご訪問ありがとうございました。
この句は吟行にお出かけになって作られたのではないかと思っていました。
洲崎寺は久保不如帰さまの菩提寺だったのですね。

何気なしに撮った一枚の写真をご覧になってお言葉をいただき嬉しくなります。
 
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