コメント
 
 
 
懐かしいです。 (Yukariko)
2015-12-25 11:25:55
2014年3月に息子と訪ねて歩き回りました。
広い神域を歩き回り廻廊の写真も一枚ずつ
眺めたものですが、前もって調べなかったせいで
宝物館と国宝館の場所が分からず断念しました。
もう一度訪ねたい所です。
 
 
 
伯方の塩はここなんですね。 (自閑)
2015-12-26 08:00:26
sakura様
地形を見ますと、多くの島々が連なり、干満の際は、潮の流れが早そうですね。海の難所の寄港地としたかと存じます。
全国の大山祇神社は、ネットで調べますと内陸部に多く、やはり山の神様なんですね。
国宝の島とのこと。源平時代からの武具の歴史が集まっているんですね。

能因の歌は知っていましたが、場所までは知らず、勉強になりました。瀬戸内海は雨が少なく、塩が出来やすいかもしれませんね。
 
 
 
yukarikoさま (sakura)
2015-12-26 20:38:23
そうでしたね!
ぜひもう一度お訪ねください。宝物館では、頼朝、義経、義仲、重盛はじめ源平時代の人々の奉納宝物がたくさん展示されています。
 
 
 
自閑さま (sakura)
2015-12-26 20:41:06
和歌をご研究なさっている自閑さま、この歌を
ご存知だったのですね。
「古事記」上つ巻・伊邪那岐命と伊邪那美命
(4)神々の生成には、
既に国を生み竟(お)えて、更に神を生みき。(略)
次に山の神、名は大山津見神を生み、…とあるように
全国に祀られる大山積神は山を司る神、山を守る神として祀られ、
鉱山業・林業・採石業など山に関わり合う人々の信仰を集めています。

伯方は塩のブランドとして広く知られていますね。
芸予諸島での製塩業は、弥生時代後期に始まり盛んに行われ、
大三島の多々羅遺跡は古墳時代の土器製塩遺跡です。
後白河上皇の持仏堂、長講堂の所領目録には伊予弓削荘の名が見えています。
瀬戸内海のほぼ中央に位置する弓削荘は耕地に乏しく、
米や麦の収穫に多くを期待できませんでしたが、
製塩業が盛んな地域だったため年貢は塩で納めていたようです。
 
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