コメント
 
 
 
亡くなったはるか後で怨霊慰撫されても… (yukariko)
2015-09-18 23:20:30
崇徳天皇御願の成勝寺、延勝寺などの石碑が立っていてもこうして詳しい解説をして頂かないと全く分かりません。通っていても注意して見た事もありませんから
幼い天皇や実権を持つ上皇、法皇様でさえどなたとどなたが親子やら兄弟やら、ごっちゃになりそうですもの。

貴族の争いでも氏族間ではなく、同族親子兄弟の方が酷いのですから、天皇、貴族、武士それぞれが分かれて争えば憎しみを浴びて、恨んで亡くなる方の恨みもさぞかしと思いますが、無念の思いを抱きながらも、讃岐での暮らしは穏かであったとされていますの所を読んでホッとしたりします。
 
 
 
かつて玉座にあった人が… (sakura)
2015-09-19 08:42:05
自分ではどうしようもない悲劇の出生に始まり、
すべてが意のままにならず破滅に向かっていきましたが、
私も山田先生が最近の研究結果を発表された
本を読んですくわれる思いがしました。
 
 
 
六勝寺はとても広大で (自閑)
2015-09-20 18:59:32
六勝寺は、図書館の辺りなので、何度も散策しました。
成勝寺と延勝寺碑は直ぐに分かったのですが、法勝寺碑はとても分かりにくい場所ですね。もっとも何処もかしこもあの一帯は全て境内なので、何処に碑を建ててもとは思いますが。
本日、中央図書館へ行く次いでに、平安創生館で、岡崎六勝寺の位置関係を確認してきました。
妖怪特集か?源平盛衰記絵本の清盛の最後を展示して、崇徳院が、法住寺に行こうとすると、明王に阻まれたので、西七条の清盛の所へ行った。先日ご紹介があった清盛終焉地も紹介されておりました。
安元の大火が、怨霊伝説の始まりなんですね。
 
 
 
妖怪特集ですか? (sakura)
2015-09-21 14:55:59
近いうちにそちらへ行く用事があるので見てきます。
情報ありがとうございました。
平安創生館では、平安京の当時の姿がビデオや
展示などでわかりやすく解説してくれていますね。

ご存知かもしれませんが、つい最近、平安創生館の展示の資料や模型の撮影が許可され、
(一部撮影不可の展示物もあります)撮影させていただきました。

昨年発行された「怨霊とは何か」の中で、山田先生は
天災、災害や戦乱などが相次いだため、世の中の不安が高まり、
人々がそれらを崇徳院の怨霊のせいにしたというような
趣旨のことを述べておられます。

法勝寺、白河院跡の所ですね。10年ほど前になりますが、
たまたま通りかかって宿泊施設前にある白河院跡の碑を見つけました。
この時、外から立派な庭園が見えたので、職員の方にお願いして
お庭を見せていただきました。あとで知ったのですが、小川治兵衛作庭だそうです。

動物園の中には、八角九重塔の碑があるようですが、こちらは未見です。

このように偶然に見つけられる場合もありますが、
地味で小さな石碑を探すのは苦労します。
 
 
 
円勝寺でした。 (自閑)
2015-09-21 18:32:22
見つけにくいのは、円勝寺でした。美術館の生垣に埋もれています。
法勝寺は、碑は無かったでした。動物園は未見です。
今日は、岡崎の図書館にこもり、延慶本、長門本、中院本、四部合戦状本、源平盛衰記を読みまくり、疲れて外の公園で一休みすると、成勝寺碑が、もう少しだぞと言ってた気がして、缶コーヒーを飲み干して又読み始めた所です。
 
 
 
ということは (sakura)
2015-09-22 08:47:32
スマホか携帯からコメントをくださったのですね。
それにも驚きましたが、延慶本、長門本、中院本、四部合戦状本、
源平盛衰記を読みまくり。なんて凄いとあきれました!

「源平盛衰記」は近くの図書館へ行ってもなく、予約して
他の図書館から取り寄せてもらいます。面倒なので仕方なく
アマゾンで買いました。
これまで積み重ねてきたものが違うので仕方がないのですが、
少しずつ考えながらしか読めません。

 
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