コメント
 
 
 
柳の五衣に萌黄おどしの鎧 (ジェード・ランジェイ)
2016-06-11 12:46:47
伝承でしか残らない
那須与一さん
十一男なのに、家督を継いだそうな・・・

うらなくひびくほど 長鳴りして、ひふっとぞ射きったる・・・
波と風
扇と紅の袴
香を焚きしめた萌黄の鎧、鏑の音
そして、「南無八幡大菩薩」「那須の湯島大明神」

源平の世は遠くても
人は、時間遡行が瞬時に出来ますね
命のやり取りに、限りない哀調と美学を感じます。
馬も人も、鎧にすら・・・・

一次資料に残らずとも、「伝承」に日本人の美意識を感じます。
 
 
 
ご指摘いただいたように… (sakura)
2016-06-11 15:40:35
ジェード・ランジェイさまが「濃姫春秋上・下」をお書きになった時、
一次資料が少なくてご苦労なさったようですが、
与一にも確かな資料が残っていません。

しかし、源氏の名だたる武将那須与一は、伝承や民謡、郷土芸能などに見え、
死して800年余たった今日もなお人々の心の中に生き続けています。


 
 
 
那須神社というのは長い参道と立派な社殿を持っておられるのですね。 (yukariko)
2016-06-12 23:19:27
那須与一という名と扇の的の話しか知らなかったのですが、道長の子道家の子孫の豪族の生まれだったとは。

しかも多くの兄弟がありながらその功によって那須家の総領に押されたのに若くして世を去った…仕残した仕事を思って残念だったか、一世一代の仕事を終えた残りの人生をホッとして世を去ったかな?

地元の人にすれば古来からの有名人、地元の一番の名士でしょうから誇らしく、道の駅に与一伝承館が並んでいるのも分かる気がします。

 
 
 
社殿は立派です。 (sakura)
2016-06-13 16:36:55
長い参道は400メートルほどあったように思います。
境内もとても広く、社殿の背後には、金丸塚といわれる
古墳に似た高い盛り土があります。

那須氏は、山内首藤氏の一族という説もあります。
山内首藤氏の一族、山内首藤経俊の母の山内尼は源頼朝の乳母です。

与一は那須家の惣領として重きをなしましたが、子息がなかったため、
頼朝の命で家督は兄の五郎之隆(資之)が継ぎます。

昨夜のNHKの大河ドラマで秀吉の小田原北条攻めが放送されていましたが、
那須氏はこれに参陣しなかったため、秀吉に所領を没収され
名門那須氏は没落しますが、関ケ原合戦や大坂の陣の
功によって1万4千石の大名となります。

道の駅にはレストランもあり、大田原牛のローストビーフ丼や
地元の食材を使ったメニューが並び、賑わっています。
 
 
 
大変参考になりました。 (揚羽蝶)
2016-06-21 19:20:00
 那須与一は下野の国の人のイメージがありお墓が京都にあるといふのは、知りませんでした。この近くでは、
東福寺や新熊野神社は、訪ねたことは、ありますが、
また那須与一さんの、即成院もお参りしたいと思います。
 
 
 
揚羽蝶さま (sakura)
2016-06-22 08:51:31
ご訪問ありがとうございます。
与一の墓は一次資料には見えませんが、『那須系図』には、
与一は山城国で没し、伏見の即成院に葬られたとされています。
そこには与一の死去の日は文治5年(1189)8月8日、
法名は『那須拾遺記』に月山洞智とあります。

即成院は東福寺のすぐ近くですから土地勘がおありだと思います。
また機会があればご参拝なさってください。

 
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