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「石橋山古戦場」の写真に感激! (yukariko)
2010-06-13 12:48:08
先日からの「山木判官平兼隆館跡 」の詳細な画像や「バスは土・日・祝日運休・平日もバスの本数は少ない・箱根登山バスにお確かめ下さい)」の付記に
それほど不便な所の現地写真を見せて頂けるのには感激・感謝です。

勿論往時の面影は残っていないでしょうが現代よりはるかに山深い場所を大勢の武者たちが山中の道さえ碌にない場所を闇の中、雨をものともせずに手柄をあげるべくかけずり回っていたのですね。

それにしても初戦には勝利したものの、300人の手勢を頼りに向かう相手は3000人!背後には伊東祐親の300騎が迫っているという背水の陣、圧倒的に不利ですよね。
案の定敗戦し、味方は散り々で頼朝の行方も分からなくなり、加藤五景員が敗けを覚悟して出家する事態に迄陥りながら逃げ延びて再起を図った頼朝!
本当に頼朝は強運の持ち主ですね。
やがて来る時代が彼が死ぬのをよしとしなかったのでしょうか?
神の見えない手がどこかに働いていたのかしら?
 
 
 
ありがとうございます! (saura)
2010-06-14 09:39:37
でも早川駅から石橋山古戦場まではハイキングコースになっているのですよ。駅前にはコース案内板が建っていますし道は海に沿って一直線ですから迷うこともありません。天気予報がはずれて雨の中を歩くことになってしまいましたが、お天気さえよければ海を眺めながらのハイキングもいいのかも知れません。
韮山は道に迷いウロウロするばかりで、史跡ガイドブックに載せられていた「山木館跡の碑」はとうとう見つけることができませんでした。

東国は頼義・義家以来の源氏の基盤だったので、挙兵に際して頼朝は源氏と縁の深い武士たちに書状を送って参加をよびかけます。
「源氏再興の秋(とき)に逢ふなり。なんぞこれを喜ばざらんや。」と言ったという三浦半島の大豪族三浦義明のように源氏に心をよせる武士もいましたが、20年の間には平家に仕え直す者も多くあり、そうでなくてもすぐに馳せ参じる者は少なく乳母関係や加藤父子・佐々木四兄弟のような浪人など300騎がやっとだったようです。
しかし頼朝の身に次々と奇跡のようなことが起こります。本当に頼朝は運のいい人です。
 
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