コメント
 
 
 
倶利伽羅峠の松明を角に付けた火牛の逆落としは遠い所だった! (Unknown)
2012-12-02 21:48:08
倶利伽羅古戦場が富山県小矢部市と石川県津幡町竹橋の間の峠とは全く知らず、大昔の講談本で読んだ時から一体どこなのだろうと思っていました。

義経も一の谷合戦で鵯越をやっているから、こちらも近畿か、北陸でも京に近い所?かと勝手に想像していました。
本当に日本全国で源平の戦いが行われたのですね。

その遠い所の「倶利伽羅源平古戦場めぐり」に参加なさって詳しく画像と説明で解説して下さるのがありがたいです。
でも政策のブレーンがいなかったのが後々、義仲と頼朝との決定的な差に繋がって行くのですね。
 
 
 
武闘派の義仲 (sakura)
2012-12-04 10:29:32
義仲の唯一貴重な参謀的存在であった覚明はいつとはなく
義仲の周辺から姿を消します。
これに対して、頼朝は世の中を見通す力をもち、
優れた政治家として行動します。
頼朝が成功した一因のように思います。

倶利伽羅峠というと遠いように思いますが、
当日、津幡駅を14時30分に解散し、京都駅に17時06分に到着しました。
これも車で案内して下さったつばたふるさと探偵団の方々のお陰です。
個人で峠越えをするとなると、一日中歩くことになるでしょう。

 
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