コメント
 
 
 
源氏方も手柄を立てるのに必死だったのですね。 (yukariko)
2020-10-09 22:04:57
安芸兄弟と郎党は、跡取りの2歳の子に安芸郡の支配権相続の保証を得て、能登守教経を三人がかりで打ちかかり、運良く教経と三人が海中に沈んで大手柄を上げた訳ですね。大将首で大手柄ですものね。

教経ももうこれが最後と思い切り、三人を死出の山の伴にと豪傑らしい壮絶な最期を遂げたのですね。
 
 
 
「一所懸命」の地 (sakura)
2020-10-10 14:44:10
源平時代の武士は地主でした。その領地を「一所懸命」の地と呼んでいます。

彼らは不安定な土地の所有権を確保するため、
命をかけて戦い手柄を立てたがりました。

神戸市の三宮神社には、生田の森で先陣の功名を得ようとして
戦死した河原兄弟を祀る河原霊社と塚があります。

安芸兄弟や河原兄弟は、命と引き換えにたてた功名を
遺族への遺産にしようというのです。
そのような欲望が特に源氏方にとって熱い闘志となっているのです。
 
 
 
平教経公は阿波徳島祖谷地方に落ち延びた説有 (Hara)
2020-10-22 09:10:06
御邪魔します
安芸兄弟の所領安堵の話は普通の図書館の本にはまず出てこないですね
後、義経公の追手として派遣された土佐坊昌俊公も母と息子の所領安堵を確認してから京都に向かったとか

平教経公は吾妻鏡では一の谷で戦死と言われますが、当時の貴族の日記と照らし合わせると必ずしも吾妻鏡が全て正しいわけではなく
屋島の戦いの後に安徳天皇と徳島祖谷地方に落ち延びた話もあるとか
祖谷平家祭りや竹宮恵子さんの漫画等地域振興に役立てばいいのですが詳しいサイトがサービス停止になってしまい今年中にWiki画像UPしたいです。
この前下田に和田義盛公の墓に行きましたが学術的説とは別に何かありそうでした、Wiki参照

寒くなったので体調に気を付けて良い旅を
 
 
 
Re:御邪魔します (sakura)
2020-10-23 14:57:28
Haraさま
図書館には、広く読まれている覚一本が置かれているように思います。
テキストにしたのは、新潮社発行の「平家物語(下)」で、
安芸兄弟の説話は、巻11早鞆・百五句に描かれています。
安芸兄弟、土佐坊昌俊の話は、武士のありのままの姿を伝える一節ですね。

徳島県の奥地、「祖谷」は、平家の落人が隠れ住んだと伝えられ、
さまざまな伝説が残っています。
和田義盛の塚は下田にもあるのですね。

朝晩めっきり寒くなってきました。どうぞご自愛くださいませ。
 
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