コメント
 
 
 
義朝はさぞ無念だったでしょう! (yukariko)
2009-11-23 10:44:47
源氏代々の家人で、鎌田正清の舅にもあたる長田忠致の屋敷で歓待された時ようやく自分の勢力下に戻れたと思って、義朝はホッとしたでしょう。
それがその家人の湯殿で側近がちょっと場を外した時に三人に囲まれ身動きできない状態で刃を向けられ打ち取られた…戦の最中の討死と違って、無念の思いは凄かったと思います。
怨霊になって出てきても仕方ない気がします。義朝慰霊の鐘が必要な訳ですね。

娘の自害を聞いて長田忠致ほ子供の出世を考えてだったと嘆きますが、息子の景致の思惑は自分の子孫繁栄を一番に考えた結果ですから妹?姉?は仕方ないと割り切り、この後源氏の世に戻るとは想像もしなかったでしょうね。

頼朝も政権が落ち着いたら父の最期を一番に調べて細かく恩賞を与えたり寺領を寄付したりしたのでしょうね。
 
 
 
義朝像を初めて見ました!. (yukariko)
2009-11-23 21:09:31
なかなか義朝像が頭に浮かばなかったのですがここで初めてお目にかかれましたね。
具体的な面影はありがたいですね。
でも武将なのに衣冠束帯の姿ですね。
宮廷での官位は左馬頭だからでしょうか?
 
 
 
哀れといえば哀れ! (sakura)
2009-11-24 16:25:07
戦場で名のある武者に討たれるならまだしも家人に仕える
端武者などにだまし討ちにされた義朝の最期はあまりにも無残。
戦いの中で討ち死にしようというのを、敗走中には何度も
自害したいという義朝を乳母子鎌田が懸命に説得して
やっと辿りついた重代の家人の屋敷での出来事ですものね。

義朝の怨霊のせいでしょうか?
義朝の墓所がある大御堂寺の拝観パンフレットに
「義朝の首を洗った血の池の水が、天下の一大事には赤く染まる。」と書かれています。

物語に登場する人物の容貌に関して具体的な描写がほとんどないので、
絵や像があるとありがたいですね。
コメントに書いてくださったように湯殿跡にある義朝像は
宮廷に出仕する姿を模したものでしょうが、義朝には
騎馬武者像の方がピッタリするような気がしますね。

頼朝は天下を平定してのち義朝の墓に詣で、大御堂寺の七堂伽藍を再興します。
頼朝の庇護を受けた大御堂寺は一山14坊あり中世に大いに栄えます。
法山寺はそのうちの一坊だったようです。

平治物語では裏切り者の長田父子は頼朝の命で磔にされたとあります。
義朝の家来の平賀四郎は生き延びて頼朝が挙兵したとき駆けつけます。

 
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