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歴史書では起きた事柄の列挙だけですが… (yukariko)
2013-01-21 19:15:49
世の目立った動きとして歴史の表には出ませんが、日照り、冷害、地震、疫病はどれも庶民の暮らしを無残に壊し餓死者が多く出るのに、対策も施されず、無残な世相をより無残にしますね。
見えないところで大きなうねりが動いて時代も動くのかしら?
でも、前回、北陸道の鎮圧に向かった兵士も遠征の兵糧米を確保できず略奪を許さなければ戦にも行けないほど都では困窮していたでしょうに、そこへ補給の手立てもなく沢山の軍勢が入り、施しをするどころか少ない食料を取り上げたら、怨嗟の声は高まるばかりで、平氏を討ったという手柄も吹き飛んでしまったのでしょう。

焦って時を待てなかった義仲!、情報を得て、足場固めをし、火中の栗を拾うのは他の兄弟にさせて、うまく立ち回った頼朝。
やはり、周りにブレーンがいるといないの差でしょうか?
 
 
 
そのようです! (sakura)
2013-01-23 11:48:01
頼朝には大江広元、三善康信はじめ都から下ってきた多くの下級官吏たちが政治顧問として仕え、頼朝も彼らを重用し大切にしています。
また頼朝自身にも政治家としての力量があったようで、後世、北畠親房などの史家が頼朝の政治家としての器量に高い評価を与えています。

一方の義仲は武将としては優れていましたが、政治力がゼロ。
都入りしてからは法皇や貴族、頼朝の間で交わされる陰湿な政略に対応する
政治力が必要でしたが、比叡山との交渉にあたった覚明がいつの間にか姿を消します。
義仲には覚明のような知識人を見る目がなく、義仲が遠ざけたと考えられています。
 
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