コメント
 
 
 
歌碑マニア?としては是非訪れたい (自閑)
2016-08-27 04:32:29
sakura様
88も歌碑が有るなんて、歌碑コレクションのマニア?としては是非訪れたいです。
御紹介頂いた以外にどんな歌が有りましたか?
 
 
 
歌碑マニアさま (sakura)
2016-08-27 19:05:44
1.思ひやれ都はるかに沖つ波 立ちへだてたる心細さを (祟徳院)
2.おもひきや身を浮雲となしはてゝ 嵐のかぜにまかすべしとは (祟徳院)
3.憂きことのまどろむ程は忘られて 覚れば夢の心地こそすれ (祟徳院)
4.ほととぎす夜半に鳴くこそ哀れなれ 闇に惑ふはなれ独りかは (祟徳院)
5.我が心誰にか言はむ伊勢の蜑(あま)の 釣うけ引く人し無ければ (祟徳院)
6.松山の波のけしきはかはらじを かたなく君はなりましにけり (西行法師)
7.よしや君昔の玉の床とても かゝらん後は何にかはせん (西行法師)
8.なにごともかはりのみ行く世の中に おなじ影にもすめる月哉 (西行法師)
9.露の玉きゆれば又もをくものを たのみもなきは我身也けり (西行法師)
10.世の中を夢と見る見るはかなくも なほおどろかぬわが心かな (西行法師)
11.まどひつゝ過けるかたのくやしさに なくなく身をぞけふはうらむる (西行法師)
12.空になる心は春の霞にて 世にあらじともおもひたつかな (西行法師)
13.とし月をいかで我身にをくりけん きのふ見しひとけふはなき世に (西行法師)
14.山里は人こさせじとおもはねど 訪(と)はるゝことぞうとくなりゆく (西行法師)
15.山里に憂き世いとはん友もがな 悔しく過ぎし昔語らん (西行法師・新古今集)
16.苔ふかき谷の庵のすみしより 岩のかげふみ人もとひこず (西行法師)
17.をのづから音する人ぞなかりける 山めぐりする時雨ならでは (西行法師)
18.惜しむとて惜しまれぬべきこの世かは 身を捨てゝこそ身をも助けめ (西行法師)
19.哀たゞ草の庵のさびしきは 風より外にとふ人ぞなき (西行法師)
20.うなゐごがすさみにならす麦笛の 声におどろく夏のひるふし (西行法師)
21.昔せしかくれあそびになりなばや 片隅もとに寄り臥せりつゝ (西行法師)
22.入相の音のみならず山寺は 文よむ声もあわれなりけり (西行法師)
23.秋たつと人はつげねどしられけり み山のすその風のけしきに (西行法師)
24.花も枯れ紅葉もちりぬ山里は さびしさを又とふ人もがな (西行法師)
25.松風の音哀なる山ざとに さびしさそふる日ぐらしのこゑ (西行法師)
26.心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮 (西行法師・新古今集)
27.古畑のそばの立つ木にゐる鳩の 友呼ぶ声のすごき夕暮 (西行法師・新古今集)
28.おしなべてものを思はぬ人にだに 心をつくる秋のよの月 (西行法師)
29.さらぬだに秋は物のみかなしきを 涙もよほすさ牡鹿のこゑ (西行法師)
30.さまざまのあはれをこめてこずゑふく 風に秋しるみやまべのさと (西行法師)
31.山ざとは時雨し比のさびしさに あられの音はやゝまさりける (西行法師)
32.月ならでさし入るかげもなきまゝに くるゝうれしき秋の山里 (西行法師)
33.山里は庭の木ずゑの音までも 世をすさみたるけしきなる哉 (西行法師)
34.常よりも心ぼそくぞおもほゆる たびの空にて年の暮ぬる (西行法師)
35.こがらしに木の葉のおつる山里は 涙さへこそもろくなりけれ (西行法師)
36.面かげのわすらるまじき別かな 名残りを人の月にとどめて (西行法師)
37.これや見し昔住みけん跡ならん 蓬が露に月のやどれる (西行法師)
38.ふけにけるわが身のかげをおもふまに はるかに月のかたぶきにける (西行法師)
39.散る花も根にかへりてぞまたは咲く 老こそ果ては行方しられね (西行法師)
40.うき世にはとゞめをかじと春風の ちらすは花をおしむ也けり (西行法師)
41.春風の花をちらすとみる夢は 覚めてもむねのさはぐ也けり (西行法師)
42.佛には桜の花を奉れ わがのちの世を人とぶらはゞ (西行法師)
43.願くは花の下にて春しなん そのきさらぎのもち月のころ (西行法師)
44.虫のごと声たてぬべき世の中に 思ひむせびて過ぐる頃かな (祟徳院)
45.かゝる世にかげもかはらずすむ月を みる我がみさへうらめしき哉 (西行法師)
46.あさましやいかなる故のむくひにて かゝることしも有世なるらん (西行法師)
47.ながらへてつゐにすむべき都かは この世はよしやとてもかくても (西行法師)
48.まぼろしの夢をうつゝに見る人は 目もあわせでやよをあかすらん (西行法師)
49.世の中をそむくたよりやなからまし うき折ふしに君あはずして (西行法師)
50.はかなくもこれを旅寝と思ふかな いづくも仮の宿とこそ聞け (祟徳院)
51.松が根の枕もなにかあだならむ 玉の床(ゆか)とて常の床(とこ)かは (祟徳院)
52.啼けば聞き聞けば都の恋しきに この里過ぎよ山ほととぎす (伝祟徳院)
53.命あれば萱が軒端の月も見つ 知れぬは人の行方の空 (伝祟徳院)
54.其日よりおつる涙をかたみにて おもひ忘るる時のまもなし (西行法師)
55.めの前にかはりはてにし世のうさに 涙を君もながしける哉 (院女房)
56.松山の涙はうみにふかくなりて はちすの池にいれよとぞ思ふ (院女房)
57.波のたつ心の水をしづめつゝ さかんはちすを今はまつ哉 (院女房)歌碑には「みづ」とあるが、山家集には「水」と書かれている。
58.水ぐきのかきながすべきかたぞなき 心のうちはくみてしらなん (院女房)
59.ほど遠みかよふ心の行くばかり なをかきながせ水ぐきのあと (西行法師)
60.いとどしくうきに付ても頼むかな 契し道のしるべたがふな (院女房)
61.かゝりけるなみだにしづむ身のうさを 君ならで又誰かうかべん (院女房)
62.頼むらんしるべもいさやひとつよの 別にだにもまよふ心は (西行法師)
63.ながれ出る涙にけふはしづむとも うかばんすゑを猶思はなん (西行法師)
64.夢の世になれこし契りくちずして さめむあしたにあふ事もがな (祟徳院)
65.ながらへて誰かはつひにすみとげむ 月かくれにしうき世なりけり (西行法師)
66.ことのはのなさけ絶にし折ふしに ありあふ身こそかなしかりけれ (西行法師)
67.しきしまや絶えぬる道になくなくも 君とのみこそ跡を忍ばめ (寂然)
68.なぐさめにみつつもゆかん君がすむ そなたの山を雲なへだてそ (寂然)
69.朝倉やただ徒(いたずら)に帰すにも 釣する海士の音をのみぞ啼く (祟徳院)
70.朝倉や木の丸殿に入りながら 君にしられで帰る悲しさ (蓮如)
71.ここもまたあらぬ雲ゐとなりにけり そらゆく月の影にまかせて (祟徳院)
72.きみなくてかへるなみぢにしほれこし たもとを人のおもひやらなむ (兵衛佐局)
73.うきながらその松山のかたみには こよひぞふじのころもをばきる (法印元性)
74.いかでわれ清く曇らぬ身となりて 心の月の影をみがかむ (西行法師)
75.濁りたる心の水のすくなきに 何かは月の影やどるべき (西行法師)
76.亡き人もあると思ふも世の中は ねぶりのうちの夢とこそ見れ (西行法師)
77.今よりはいとはじ命あればこそ かかる住居(すまい)の哀をもしれ (西行法師)
78.ここを又我すみうくてうかれなば 松はひとりにならんとすらん (西行法師)
79.世をてらす光を峰にとどゞめおきて 月や入りけんあやの松山 (高斡)
80.すぎし世を思ひかへせば松山の 風の音さへ忍ばるゝかな (常広)
81.眺むれば昔をのみぞ忍ばるゝ 我がすむ山の秋の夜の月 (剛盛)
82.ふりにける君が御幸の鈴のそうは いかなる世にもたえずきこえん (西行法師)
83.一たび聞きし御法を種として 佛の身とぞたれもなりぬる (祟徳院)
84.瀬をはやみ岩にせかるる瀧川の われても末にあはんとぞ思ふ (祟徳院)
85.濱千鳥跡は都へ通へども 身は松山に音をのみぞなく (祟徳院)
86.松山の波にながれてこし舟の やがてむなしく成にけるかな (西行法師)
87.よしや君昔の玉の床とても かゝらん後の何にかはせん (西行法師)
88.思ひやれ都はるかに沖つ 波立ちへだてたる心細さを (祟徳院)
 
 
 
こんなに御紹介頂いて感謝申し上げます (自閑)
2016-08-27 20:41:41
sakura様
全部御紹介頂いて感謝申し上げます。
是非讃岐に貴blogを導として訪問致します。
寂念法師の「しきしまや」まで有るのですね。
水の仮名遣いは、「みづ」ですのでそれで良いかと。
時々歴史的仮名遣ひでワープロを打つことが有り、変換してくれないので気が付く事が有ります。
稲妻は、どう見てもいなずまではなく、いなづまですよね。
 
 
 
是非おたずねください。 (sakura)
2016-08-28 08:46:44
自閑さま
讃岐は案外近いですよ。坂出駅から最寄りの駅まで
2時間足らずで帰ってきました。

「水の仮名遣いは、「みづ」ですのでそれで良いかと。」は、
パンフレットの書かれている「注」をそのまま転載したものです。
パンフレットには「水」と書かれていますが、
歌碑には「みづ」と刻まれている意味かと思います。

 
 
 
西行法師 (揚羽蝶)
2016-08-28 17:07:42
西行法師は、家族と別れ出家され、漂泊の歌人になりましたが、崇徳上皇に歌を送ったり、亡くなられてからも
御陵を訪ねたとのことですね。義理堅く優しい人だったと思います。
私は、なかなか讃岐には行けませんが、以前紹介されておられた京都東山の崇徳天皇御廟や、西行庵を訪ねたいと思います。この付近は、何度も来ているのですが、気付きませんでした。
 
 
 
揚羽蝶さま (sakura)
2016-08-29 09:07:18
崇徳天皇御廟や、双林寺の西行庵も見て下さったのですね。
ありがとうございます。私がご紹介させていただくところは、
ほとんどが観光名所ではないので、すぐ近くを通られても
気付かれないことが多いようです。

51歳の西行にとって四国への長旅は、体力的に不安だったようです。
父鳥羽法皇は崇徳天皇に譲位を迫る際、体仁(近衛天皇)が
崇徳天皇の養子であるとして崇徳と話をつけましたが、
「譲位の宣命」には、体仁は崇徳天皇の弟と記されていました。
弟に譲位したのでは、崇徳天皇は院政を開くことができません。
父に騙されたわけです。

そして、声がかれるまで一日中今様に熱中する馬鹿な
四宮(後白河)を天皇に抜擢した鳥羽法皇は、絶対に崇徳上皇の子、
重仁親王には皇位を渡たさないという意思表示をしました。
ちなみに二宮、三宮は病弱だったようです。

皇位をめぐって兄弟が戦うことがあっても、敗れた方が出家し詫びをいれたら、
後白河天皇が兄にしたような残酷な仕打ちはできないはずです。

西行は崇徳上皇の辛い体験について深い同情を寄せ、
上皇の心を鎮めようと多くの歌を送ったようです。

 
 
 
整備された素敵な道だと思いましたが… (yukariko)
2016-09-01 22:40:56
「西行法師の道」青海神社より徒歩50分。
平成15年整備、道沿いには八十八基の歌碑と石燈籠九十三基…
それまでは白峯御陵のみが宮内庁の管轄できちんと整備されていなかったのでしょうか?
お写真では整備された道の途中に桜も咲き、何となく華やかですが、保存会が大がかりな整備をするまでは寂しいばかりの参道だったのでしょうか?

…『保元物語』作者は大幅に脚色して載せたと思われます…世の中の噂とは実際のご本人を知る人からは真とは思えないような話になるのでしょうから西行もさぞ心を痛めたのでは…。

書体をお変えになっているのも楽しいですね。
 
 
 
結構大変です。 (sakura)
2016-09-02 14:14:31
青海神社からの参道は、整備されたといってもかなりの急坂もあります。
高家神社横から御陵のある白峯寺へ、広い舗装道路が通っていますから、
こちらの方は少し歩きなれた人であれば大丈夫です。

以前は御陵の傍らから青海神社まで、草深い山道が通っていて500段ほどの石段があったそうです。
PCがそろそろ寿命なのか、時々書体が思うようにならないことがあります。

 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。