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さすが源氏発祥の地ですね。 (yukariko)
2009-03-08 23:25:43
摂関家の家司や国司を務め巨額の富を集めたとしても時代が下がれば忘れ去られ、その菩提寺なども消えたり、有名な神社仏閣の末寺になったりするものですが、満仲・頼光・頼信の場合は、鎌倉(源)、室町(足利)、江戸(徳川)と征夷大将軍はいずれも源氏を称したから、その始祖の神社・菩提寺は大事にされたでしょうね。

境内・拝殿・本殿も立派だし、石塔・墓所も整備されていて、大事に守られている感じ。

川西と多田・源氏の成り立ちを知らなければ不思議に思うところでした。

以前に尼崎の近松記念館に行った時、広済寺横の須佐男神社に参って源満仲の勧請によると書かれていてびっくりした事があります。
その時代から大きな勢力があったのだと分かりました。

…須佐男神社
957年、村上天皇の御世に、多田満仲公の勧請により建立されたと伝えられ、神社境内は、江戸時代の『摂津名所図会』にも紹介されている。

平安中期の武将・源満仲が「汝に鏑矢を授ける故、矢の行きつく所に汝住むべし」と住吉明神の神託をうけ、境内にある石に足をかけ踏んばり、矢に文を結び付け放ったと伝えられる矢文石がある。
 
 
 
近辺を辿れば満仲ゆかりの史跡はまだまだあるでしょうね! (sakura)
2009-03-09 15:20:59
武士、経営者、策謀家とさまざまな顔をもっていた満仲は
美女丸伝説にもあるように万一の時に血筋が絶えぬよう
末子を僧侶にしたりと、まだまだ地位の低かった武士の時代の
一つの生き様ですね。頼朝まで200年位前の物語です。
源氏一族にはルーツの異なるさまざまな源氏が日本各地に存在します。
中でも清和源氏は武家として発展し、その末裔の頼朝が
鎌倉幕府を開いたのでよく知られています。
足利氏は河内源氏頼信の曾孫義国の子義重が新田、
義康が足利と系図を辿ることができます。
鎌倉時代になると幕府の祈願所となり、
足利尊氏の遺骨も多田神社に納められています。
江戸時代になり源氏?と称した徳川家が多田神社を保護し
4代将軍家綱が戦国時代に焼けた諸堂を再建しました。
境内に並んでいる玉垣には源氏旧御家人」「徳川家」等と書かれています。
 
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