コメント
 
 
 
この時代の武士は我欲に正直ですね。 (yukariko)
2013-04-16 19:27:19
武士の規範などないが如く、戦国時代の下剋上と同じ、恩賞の多寡など物欲で平気で裏切りますね。
人を信じない頼朝を嫌いと思いますが、宮廷でも戦でも現実の汚さを見聞きし続けた人の用心深さでこそ大事をし遂げられるのかもしれませんね。

人を疑わない義仲、鞍馬寺で育ち、平泉まで下向した義経は結構苦労していると思うのですが、肉親の情愛を信じすぎ?
したたかな古狸の行家に振り回され、讒言など足を引っ張られ続けるのを読むだけで歯がゆい!(笑)

お墓のあるお宅まで訪問し、わざわざお尋ね下さったのに、ありがたいとも思わずに行家の悪口を書いてはいけませんね。
 
 
 
当時、騙し討ちは許されていました。 (sakura)
2013-04-18 09:06:28
古代や中世の戦いは、必ずしも生々堂々と競い合う戦いではありませんでした。
『平家物語』にもだまし討ちや謀計の例が数多く見られます。
当時の武士のおかれていた厳しい状況や恩賞に対する熾烈な願望から、
勝つためには手段を選ばず、功名のためには味方も欺くということも
社会的に許され、それほど強い非難の対象にはなりませんでした。
武士道精神にのっとって、力を競いあうといのは、
どうも江戸時代に入ってからのようです。

義仲も義経も情に篤いのですが、
どちらも政治的には思慮が足りず、政治的手腕に優れた家来ももっていませんでした。
義仲には覚明という参謀がいて活躍しましたが、彼は途中から行方不明。
義仲と意見が合わなくなったのだと思われます。
行家としては、頼朝・義仲の挙兵そのものが以仁王の令旨を両者に授けた結果ではないのか。
その言い分はもっともですが、彼は野心家で頼朝にも義仲にも叔父として尊大に振る舞ったようです。
 
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