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勝ちそうな方に味方するのは世のならい (自閑)
2016-04-24 11:08:14
sakura様
伊予の豪族や田口教能の3000騎など、義経軍が小数とは思わず、義経軍に編入されてしまう。
勢いを持った軍には、どんどん勢いがついて来るものです。
水軍を手にし、いよいよ壇之浦へ向かって行くのですね。
しかし、梶原景時はこの時の屈辱から頼朝への讒言となり、義経崩壊の兆しが始まったとも言えますね。
 
 
 
義経の宿敵 (sakura)
2016-04-24 15:51:13
自閑さま
逆櫓・壇ノ浦合戦では、義経と景時は同士いくさになりかけ、
二人の亀裂は決定的になりましたね。
合戦後、義経の鎌倉入りに先立ち、景時は頼朝に讒言します。

後世、判官ひいきが広まったことから、景時は義経・頼朝兄弟の不和、
義経失脚の原因をつくったとされ悪評高い人物です。

 
 
 
時の流れが源氏に向かって滔々と流れ始めているのをひしひしと感じていた? (yukariko)
2016-04-26 17:54:45
教能がいとも簡単に騙されたのは、屋島での戦況をうすうす知っていたからだと思われます…とお書きのように

歴戦の戦人がいとも簡単に騙された…周りの武将達へのポーズもあるでしょうから、ころっと騙されたふりで下って源氏側、勝ち戦の側に付いたのでしょうね。

田口教能の旗下の武将たちが『おかしい、そんなはずはない!』と抗弁せずに降参する彼に従ったのもそういう事でしょう。
世の中の勢いがもう源氏に向かって滔々と流れ始めているのをカンだけでなく、詳しい情報をも掴んでいたのかも。
三千の軍勢だって、おのおの、一族郎党を養っていかないといけないのだから利害には敏感でしょうし。
 
 
 
そうとも考えられますが… (sakura)
2016-04-27 14:45:09
教能が源氏に降伏したことについて、このブログのテキストに使用しています
「新潮日本古典集成」の頭注で、水原一氏は「伊勢三郎があらかじめ謀者を放って
噂を流させていたと理解すべきであろう」と述べておられます。

義盛は間者にでたらめな噂を流させておいてから、
白装束ということは非武装姿で教能の前に現れて安心させ、
舌先三寸で騙したようです。
3000騎の敵陣に16騎みな刀を持たずに乗り込むとは大した度胸ですね。


 
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