鎮守の杜から
葛木御歳神社神職が、神道についてや、日々感じたことなどを思いつくままに綴った私的なページです。
 



何故オオムラサキなのでしょうか。
それは私が文章に書いてみるべき事だと思いました。
おとしだまの森倶楽部の隊長さんの文章にも書かれていますが、
http://blog.mitose-forest.org/?p=179
もう少し丁寧に書いてみますね。

私たちの親世代が子どもだった頃、日本中のどこにでも里山がありました。
私たち世代も、大都会以外では里山があり、私も虫取りをしたり、小川でダムを作ったりして遊びました。

里山というのは、人の手が入った山の事を言います。
ウイキペディア里山
典型的なのが、クヌギやナラ等の雑木林の山ですね。

戦前までは、「山へ柴取りに」行って風呂やかまどの燃料にしていました。
シイタケ栽培にクヌギを定期的に伐っては植える。
落ち葉をもらい受けてそれを堆肥にする。
適度な手入れが虫たちを育てていました。

カブトムシは、シイタケ栽培の後捨てられた古いほだ木が堆肥となった所へ産卵をして、幼虫はそれを良い肥料に変えたり…ですね。

オオムラサキの成虫はクヌギの樹液を吸います。
スズメバチが傷つけた木肌に、オオムラサキやカブトムシ、クワガタ、カナブンが集まります。
オオムラサキの幼虫の食樹はエノキ。
農機具の柄の木として身近にあり、エノキは多くの虫たちを育てる木です。

人と共に豊かな森が広がり、昆虫やそれを捕食する鳥が集まる。
農耕民族とともにあったのが、オオムラサキでもあるのです。


里山には昔から何度も危機が訪れます。
江戸時代には政策として里山保全を行ったというのですから、
江戸時代を馬鹿にしてはいけませんね。
エコでリサイクルも行われていたというから大したものです。
自然と人が調和していた時代として、ある意味良い時代だったのかもしれません。

山が荒れ放題になったのは、戦後です。
戦争中に燃料が足りなくなって、あちこちの山を皆伐してしまいます。
そして、復興のために杉・ヒノキを植樹しますが、海外の安い材木に追われて林業が衰退します。
農業では、手軽な市販品の肥料が使われるようになり、山は人の手から遠ざかります。

人の手が入らなくなった森は、枝打ちもされず、光が入らない暗い森になります。
杉やヒノキの暗い森は、虫も鳥もいない生命感の乏しい森になってしまったのです。
低木が育たない暗い森は、表層の土が大雨の度に流され、
土砂崩れを防ぐために砂防ダムやコンクリートで固めることでますます生命感が失せて行きます。

山は無用の長物のようにみなされ、宅地造成で削られてしまい、ますます人と森が遠ざかります。


「オオムラサキが住まう国」

それは一つの象徴たり得る存在なのです。

いくら、工業が発達してもサービス業が発達しても、
農業がなければ、生きていけないのですから。
それは「食」だけでなく、国土の保全という意味でも大切なことになります。

近代は、文明偏重で進み過ぎたように思います。

文明とともに、文化を守ることが、いかに大切か。
それをようやく考えられる時代になったのかもしれません。

文化は「culture」ー「耕す」を語源とする言葉です。
文明開化以来、文明を追い求めてきた日本人が、
ようやく、自分たちのアイデンティティとしての
「文化」を見直そうとしているのが、今なのかもしれません。

世界的にも時代の転換期を迎えた今、オオムラサキを想念して
国土を考えることってとても素敵な事のように思います。

神祭りが生きている国だからこそ、できることがあるような気がしています。

*今は、飼育室でオオムラサキを飼うだけしかできませんけれど、いつか…ね~^^

こちらもぜひお読みくださいね^^
ウイキペディアオオムラサキ
国蝶と保護の項目に書かれています。

*写真は、神饌所のオオムラサキ。あなむしガラス工房の矢野学氏に素敵に撮って頂きました♪
あなむしガラス工房へ

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