震災

2016-03-12 05:07:52 | 日記

 通常総会は毎年3月第2日日曜日の決まっているので中国から帰国したのは震災1週間前だった。訪中の際は毎日大学ノートに詳細な日誌を書いたり、バカチョウンカメラで写真を撮ったりして残している。

最初の訪中は東京まで新幹線で上野駅まで行きそこから総武線成田xプレスで成田空港で上海空港に入国してそこから青島、徐州、等のローカル線で地方都市に行った。地方都市の空港には通訳人や関係者が出迎えに待っていた。国際線の離発着時間が余り遅れる事は無いが地方都市は当てにならない程時間にはルーズ。

 地方都市に乗り継ぎするにも長い待ち時間なので空港近くのホテルに宿泊して翌朝出発したり延々と半日もかかり現場に到着する時もあった。最初訪中した時は真夏で中国は未曾有の大旱魃で一面茶褐色の大地でトウモロコシは立ち枯れ状態。

 方々の農業、農村の果樹園芸畑を見ながら中国の広い台地の農業や山岳地帯の農業にはビックリするばかりだった。帰国前日には日本にも大きな被害を与えた台風が中国山東省に上陸して凄い強風でホテル窓から眺めていた。経験のない程の凄い強風で夜になっても治まらない

サッシ窓からは雨、風が入り電気は停電で真っ暗な闇世界。発電器なんては勿論なく便所は使えず朝食は出ないし窓から外の様子を眺めるとあちこちに倒木している。道路は塞がれて帰国は大丈夫なのか心配になった。同じホテルに宿泊した通訳人や関係者は帰国の準備で忙しい。幸いに現場と空港は余り遠距離でなかった為に予定通にの空港便で帰国した。

 リーマンショック後経済も良くなり近年仙台空港から上海や地方空港に直行便があり便利になった。何時も利用していた空港着陸時刻も午後からで震災時刻の午後2時46分はまだ空港内でうろうろして入国している。後1週間遅れての帰国だったら今頃海のもずくになってこの世にはいなかった。運が良かったので震災の影響もなく過ごす事が出来た。