震災

2015-03-12 04:44:21 | 日記

 早いもので東日本大震災から4年の歳月で各局テレビ等で悲惨な報道番組。テレビ映像を見ながら当時のいろんな思い出が蘇って来る。小雨降る寒い日で水田の賃貸借の件で他所地区の大型米作り農家に行きいろんな要件を話してやっと契約書の押印して貰っていた。
 茶を御馳走なりながら雑談し始めると同時にそれぞれの携帯電話から異常音声。なにがなんだか分からないまま不思議な携帯電話の異常発信と思っていたら合い間無くユーラユーラと家が揺れ始めた。夫婦家族と互いに顔を見て地震~と思いながら余り驚く事無く揺れる天井を見上げて茶の飲んでいた。
 直ぐに治まるだろうとを思っていたが段々強い揺れで部屋の天井の側に飾ってある神棚が落ちて来た。外を見ると太い松の庭木大きく揺れて心配座ってられなくてそれぞれが立ち上がって玄関まで出て外に逃げる準備までしたら揺れが治まった。
 地震情報を知る為テレビを点けるが停電で移らない立ったままの御馳走様で急いで契約書類を持って帰宅した。急に吹雪空で寒い日だったが停電で道路の信号器は効かず徐行運転。物凄い揺れの地震で家から出て寒空の外の様子を不安気に眺めている家族が道路の両側にまとまっていた。

 ラジオ情報でも県内の震度等で悲惨な津波、原発は無く震源地や震度はなかなか放送な無い。の公民館に集まり地震対策本部を立ち上げ消防団、役員と一緒情報収集、確認をする。停電で内は真っ暗闇で不安、心配が増して来る。急遽く自主防災会の発電器で灯りを点け民の拠点とした。
 発電器から小型テレビの映像はこの世の出来事ではないような津波の映像でビックリする。12時過ぎに一時解散して帰宅するが暖房器は使えず石油ストーブで湯を沸かし何処からか探し出しや湯たんぽで暖を取って茶の間で寝る。便所の使用も出来ず車の燃料も給油できず不便この上ない不便な生活。
 部落総会は2日後の13日だが電気、水道いつ正常に戻るか分からない。幸いにして総会前日午後から通電で予定通りの総会が出来た。
 いろんな思いのある3月11日昨夜からの猛吹雪で早朝から除雪車の轟音、起床直ぐ玄関に出たら一面真っ白なな積雪でビックリするやら又剪定作業が遅れてガッカリ。25cmほどの新雪で早朝から又上腕をかばいながら家内、息子の除雪に追われる。