久代の日記

音楽、矯正治療のこと、日々のこと等

チョコ。

2015-02-09 17:11:39 | 日記
自分の為に、原信からメリーズのチョコレートを買ってきました。チョコの箱が綺麗で気にってしまったのです。1500円と600円の2ケ買ってきました。自分へのご褒美ですね。メリーズは女性から子供まで、楽しませるデザインのチョコを持っています。ウオロクには同じものありませんでしたが、原信の方が豊富にあります。家の前の道路が冬場になると一方通行になって、左に曲がれなくなっているんです。右に曲がっていくしかなく、遠回りになるんです。不便でしょうがありません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キンスマ。

2015-02-08 14:26:14 | 日記
アンネの日記のアンネを紹介していました。アンネもユダヤ人だったんですね。小学生の頃本を読んだ覚えはあるのです。ナチスがユダヤ人を憎んでいた理由が良く分からなかったのです。ユダヤ商法があって商売上手だと言う事は聞いていたのです。そんな理由があって憎まれていたのかなと思っていたのですが、イエスキリストを十字架にかけたのがユダヤ人だと言っていました。その行為が末代まで響いて続くと言われていました。ほんとかうそかそんな事があったのかと思ってしまいました。宗教の違いで、人間扱いせず憎むと言う事も許される事ではありません。アンネは裕福な家庭で育ちました。父親が銀行を経営していた事もありました。食品会社を経営し、隠れ家も食品会社のとなりに作ってあったのです。迫害されていたので、何かあった時にそこに隠れようと思って作ったようです。アンネ家族の他に、友人家族も入れて8人で身を寄せていました。2階に部屋はあり、歩くとミシミシ音を立てるので、昼間は食品会社の従業員にその音を聞かれると悪いので、見をひそめているしかありませんでした。支援してくれる職員がいたのです。支援してくれる人がいないと続かない生活です。2年間その生活が続いていました。その時に書かれたものがアンネの日記です。誰か密告者がいて警察に分かってしまうのです。強制収量所に連れていかれました。劣悪な環境の中、2ケ月後に姉がチフスで亡くなり、アンネもその後すぐ後を追うように亡くなっています。もう少し数か月分からなければ、助かった命でした。連れて行かれた3ケ月後に戦争は終わっていました。8人強制収量所に連れて行かれて生き残ったのは、父親だけでした。食品会社の従業員が、隠れ家から日記を発見して父親に手渡していました。父親が日記を本にしていたのです。15歳のアンネの心境が書かれてあります。ジャーナリストになりたかったようです。アンネの希望は死んでからも自分が生き続ける事でした。書いてあります。生き続けています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌謡コンサート。

2015-02-04 17:00:06 | 日記
布施明が、一昨年亡くなったお母さんに思いを寄せた曲を作り歌っていました。私とは母に対する思いが違うんだと思いました。私は「われもこう」になります。あなたに、あなたに誤りたくてとなってくるのです。同じ年に亡くなっているんですね。母にあの世で会えると思うと死ぬ事も前よりは怖くなくなってきました。母が待っていると思うとです。あの世にいったら、家事の手伝いをやります。出来なかったからです。いつもいつもごめんねになってくるのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする