きばなの硝子瓶

呑兵衛夫婦の日々の食卓

つぼ鯛

2011-08-13 | 買ってきたもの

つぼ鯛の干物

子供の頃からの大好物

でも残念ながら、市場にはあまり出回らない

深海魚だからかな?お値段も高いしな

子供の時も、滅多に食卓には上がらなかったし
スーパーで見かけたって記憶もないな

おそらく、魚屋さんで見つけた時のみの御馳走だったのかも

(お爺ちゃんが皮ごとバリバリッとカブリついていて.............
 あまりに美味しそうだったのでマネたら、母のゲンコが飛んできた)

ましてや関東では殆どお目にかかれなく
たま~に、寿司屋さん料理屋さんで出会うくらい

それが、何故かここんとこ続けて食べている


近所のスーパーで見つけた



大ぶりで文句なく美味でありました、福島のいわき市のでした


その前は、なんと大衆居酒屋さんで出会う



こちらは小さく味もイマイチだったけど、宮城産とメニューに書いてあった

たぶん「東北」を応援するって意味での、入荷なのかな~と思った
それで知ったけど、東北では「つぼ鯛」って「お馴染み」なのかもしれない


滅多に食べられない好物だから、すごく嬉しく美味しかったけど
心はシンミリしながら食べた..........あとで魚に悪かったなと思った


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昨夜は、震災の特番を放送していた
辛かったけど、最後まで頑張ってみた

揺れはじめた直後から翌日の深夜まで、うちは「停電」してしまったので
あのとき、身近な場所はどうなっていたのか?とか、あの後のTV放送は
どういう状態だったのか?とか、政府の対応は?とか、実は全く知らない

ラジオとオットからの電話(都内で帰宅難民)で、なんとか把握してる程度

電気が点いてからは、もう被災地中心の恐ろしい「津波」の情報のみだったので
それも頭の半分も理解できないまま、翌日から日々を動かすことで精一杯だった

その後は【2次災害】の恐怖の日々へと突入した


放送をみて、こんな状態だったのか、こんな映像が流れていたのか
都内や横浜はこんなふうだったのか.........ゆうべ初めて知った


あの晩、ここらへんは無音になった、みな家の中に閉じこもった

それでも、都内などからボンヤリと光がとどき.................
田舎のようには暗くならないんだな~と、そう思ったことを覚えている

仙台の人が、あの晩は異常に星空がキレイだったと言っていた

そうだった、あの晩は月が青白く輝いていた、停電のせいでよく見えた
暗さと寒さと恐ろしさの中、独りで過ごしていた晩だったから
少しでも明るくしたくって、寒かったけどカーテンを全開にしてた

ガタガタ揺れながら、窓辺でずっと月をみてた気がする
オットは眠れているかな.....なんて思ったことを思いだす

コメント
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