久しぶりの地元中日新聞からです。気になる記事がありました。
北名古屋市長が名古屋市との合併を検討しているとのこと。
朝刊記事です。
1日の議会一般質問で答えたもの。
その理由として大規模災害や幹線道路などの基盤整備、名古屋市営バスの乗り入れなど、メリットがあるとしています。
名古屋市長も前向きですが、一方で都市基盤や福祉の面で差があり、これを市内他と平準化するには多額の費用がかかるともあり、一足飛びに合併の流れにはならないのもあるとのこと。
夕刊で、北名古屋市長は合併意向を表明した旨です。
しかし、なぜ今ここにきて合併なのだろう。平成の大合併の時期(今も平成の御代ですが)に、名古屋市と北名古屋市となった旧二町を含む春日井郡町村との合併話はありました。
結局、名古屋市側が基盤整備や福祉などで差があり、市域化に伴う諸費用の点で、合併の意向にはならなかったです。
そこで、西春日井郡全体で一市にまとまろうという話もあったものの、結局は西枇杷島町、清洲町、新川町が合併して清須市が発足し、さらに、師勝町、西春町が合併して北名古屋市が発足しました。
名古屋市は、旧尾張徳川家の城下町として大都市であり、明治22年の市政施行以降は、市域の拡大を進めてきました。
以下にまとめますと、
明治29年3月23日 愛知郡御器所村大字前津小林を編入
明治31年8月22日 愛知郡那古野村と古沢村大字東古渡を編入
明治40年6月1日 熱田町を編入
明治41年4月1日 四区制を実施、東区、西区、中区、北区を設置
大正10年2月20日 愛知郡笠寺村大字笠寺を編入
大正10年8月22日 愛知郡千種村、東山村、中村、御器所村、愛知町、常盤村、呼続町、小碓村、荒子村、八幡村、西春日井郡清水町、杉村、六郷村、枇杷島町、金城村、笠寺村残余部分を編入
昭和3年3月15日 愛知郡天白村大字八事を編入
昭和12年3月1日 愛知郡下之一色町、西春日井郡庄内町、萩野村を編入
昭和12年10月1日 十区制を実施、千種、東、西、中村、中、昭和、熱田、中川、港、南の各区
昭和19年2月11日 十三区制を実施、西区・東区から栄区を分離、昭和区から瑞穂区を分離
昭和20年11月3日 十二区制を実施 栄区を中区に編入
昭和30年4月5日 愛知郡猪高村、天白村を編入
昭和30年10月1日 西春日井郡楠村、山田村、海部郡富田町、南陽町を編入
昭和38年2月15日 守山市を編入、守山区を設置
昭和38年4月1日 愛知郡鳴海町を編入、緑区を設置
昭和39年12月1日 知多郡有松町、大高町を編入
昭和50年2月1日 十六区制を実施。千種区から名東区に分離、昭和区から天白区を分離
こんな変遷を辿っています。ちなみに明治22年10月1日の市政施行当時の範囲は、旧名古屋城下の範囲そのもので、今の中区、東区、西区の一部です。
大正10年8月22日と昭和30年の編入が大きく市域拡大したものとして、市のなかでもエポックとして、各種統計で触れられています。
しかし、合併が実現すると、一宮市は名古屋市の隣接になるのですね。これは面白い!
尤も、一宮市の北名古屋市(旧西春町)隣接部分は、昭和30年編入エリアですが。
北名古屋市長が名古屋市との合併を検討しているとのこと。
朝刊記事です。
1日の議会一般質問で答えたもの。
その理由として大規模災害や幹線道路などの基盤整備、名古屋市営バスの乗り入れなど、メリットがあるとしています。
名古屋市長も前向きですが、一方で都市基盤や福祉の面で差があり、これを市内他と平準化するには多額の費用がかかるともあり、一足飛びに合併の流れにはならないのもあるとのこと。
夕刊で、北名古屋市長は合併意向を表明した旨です。
しかし、なぜ今ここにきて合併なのだろう。平成の大合併の時期(今も平成の御代ですが)に、名古屋市と北名古屋市となった旧二町を含む春日井郡町村との合併話はありました。
結局、名古屋市側が基盤整備や福祉などで差があり、市域化に伴う諸費用の点で、合併の意向にはならなかったです。
そこで、西春日井郡全体で一市にまとまろうという話もあったものの、結局は西枇杷島町、清洲町、新川町が合併して清須市が発足し、さらに、師勝町、西春町が合併して北名古屋市が発足しました。
名古屋市は、旧尾張徳川家の城下町として大都市であり、明治22年の市政施行以降は、市域の拡大を進めてきました。
以下にまとめますと、
明治29年3月23日 愛知郡御器所村大字前津小林を編入
明治31年8月22日 愛知郡那古野村と古沢村大字東古渡を編入
明治40年6月1日 熱田町を編入
明治41年4月1日 四区制を実施、東区、西区、中区、北区を設置
大正10年2月20日 愛知郡笠寺村大字笠寺を編入
大正10年8月22日 愛知郡千種村、東山村、中村、御器所村、愛知町、常盤村、呼続町、小碓村、荒子村、八幡村、西春日井郡清水町、杉村、六郷村、枇杷島町、金城村、笠寺村残余部分を編入
昭和3年3月15日 愛知郡天白村大字八事を編入
昭和12年3月1日 愛知郡下之一色町、西春日井郡庄内町、萩野村を編入
昭和12年10月1日 十区制を実施、千種、東、西、中村、中、昭和、熱田、中川、港、南の各区
昭和19年2月11日 十三区制を実施、西区・東区から栄区を分離、昭和区から瑞穂区を分離
昭和20年11月3日 十二区制を実施 栄区を中区に編入
昭和30年4月5日 愛知郡猪高村、天白村を編入
昭和30年10月1日 西春日井郡楠村、山田村、海部郡富田町、南陽町を編入
昭和38年2月15日 守山市を編入、守山区を設置
昭和38年4月1日 愛知郡鳴海町を編入、緑区を設置
昭和39年12月1日 知多郡有松町、大高町を編入
昭和50年2月1日 十六区制を実施。千種区から名東区に分離、昭和区から天白区を分離
こんな変遷を辿っています。ちなみに明治22年10月1日の市政施行当時の範囲は、旧名古屋城下の範囲そのもので、今の中区、東区、西区の一部です。
大正10年8月22日と昭和30年の編入が大きく市域拡大したものとして、市のなかでもエポックとして、各種統計で触れられています。
しかし、合併が実現すると、一宮市は名古屋市の隣接になるのですね。これは面白い!
尤も、一宮市の北名古屋市(旧西春町)隣接部分は、昭和30年編入エリアですが。
電話番号ですが、合併された場合でもおそらくはそのままかと思います。
身近な例ですが、岐阜県川島町が各務原市に編入合併しましたが、川島町の市外局番「058689」はそのまま、元の各務原市は「0583」で異なっています。
ちなみに、この川島町と各務原市はMTが違うので、同じ市内ながら、相互間の通話は、市外通話の扱いになります。
東広島市が広島市の隣にあるから北広島市も広島市の隣と誤解する人がいますが、
広島市の北隣は北広島町です。
北広島町は広島県とは思えない豪雪地帯にあり、隣は島根県浜田市です、
市外局番はどうなるか気になります。
名古屋市は052、
北名古屋市は春日井0568。
北名古屋市というネーミングは東大阪市や東広島市や西東京市のように感じます。
北広島市や東松山市だととてつもなく遠く離れた地になりますが。
今後合併することになれば、調整すべき協議事項が多数ありますので、法定合併協議会を設立して、あれやこれやガクガク話し合うことになります。
その結果、お流れになることも。
大正10年8月22日の周辺町村編入では、「大名古屋」を目指したもので、以降この言葉が用いられるようになりました。
明治22年4月1日、初の市制施行の31市に名古屋市が入っていないの件で。
明治維新後の地方制度改革で、1888年(明治21年)に市制町村制が施行されたわけですが、全国一斉に実施されたわけではなく、府県単位で順次行われました。
愛知県は、1889年(明治22年)10月1日実施で、この日が名古屋市の市制記念日になっています。
この市制町村制で、それまでの自然発生村に法人格を与えて、自治権を持つ地方公共団体となったわけです。
我が地元一宮市も、江戸時代の一宮村が、明治22年10月1日に、一色村と共に、新たな「一宮村」が成立しました。
ついでに。東京都の区部の前身である、東京府東京市も、東京府の町村制施行が明治22年5月1日でしたので、東京市の市制施行も、少し遅れて、明治22年5月1日となりました。
その東京都、旧東京府の三多摩地区は元は神奈川県。
なので三多摩地区の町村制施行は東京市より一か月早く、明治22年4月1日でした。
三多摩地区に市制施行した市はありませんでした。
名古屋市民の立場からすると、現時点では、特に積極的に反対する材料は見つからないものに、半面、ただでさえ自治体としては大規模な名古屋市が、これ以上肥大化?するのも、果たしていかがなものかとの、そういう思いも確かにあります。
ところで、この記事の内容とはずれるかもしれませんが、地理歴史に多少なりとも興味のある者としての、以前からの疑問なんですが。
名古屋市は、1889年4月1日に、全国で始めて市制を施行した31市の中に入っていないんですね。
当然のことながら、この時市制を施行した31市は、一部の例外を除いて、大半が旧藩の城下町だったんですが、その中には、東海3県では三重県の津市、また現在でも人口17万程度の弘前市や高岡市など、さらには、現在では人口が8・5万(ここまで衰退?)!にまで減っている米沢市なども含まれているんですが、その反面、全国屈指(最強?)の有力藩で、人口も多かった、尾張徳川藩の城下町名古屋市は含まれておらず、結局半年遅れの10月1日にやっと?市制を施行したわけです。
7月1日に施行した岐阜市よりも遅れたと・・・
これの一番の理由は何だったのかと・・?以前からのちょっとした疑問なんです。ネット上でも、それについて書かれているものも無いではないのですが。。どうもピンと来なくて。それ以前にあった「名古屋区」(吉田禄在区長は有名。東海道本線生みの親!?)との絡みでもあったんでしょうか。
本題と関係のないコメント、失礼しました。
国の合併特例債も、存続自治体の都合のいいように使われる例は、我が一宮市もそんなところがあります。
税金など、公租公課の負担増の件もみみにしました。
西春日井郡の6町が合併に至らなかったのは、この公租公課負担増に拒否感があったかもしれません。
地下鉄・市バスの市域外運行は、法律的にはなんら問題無いですが、市民感情でいかがなものかとなります。
現在の市域外運行路線は、いずれも特殊事情を抱えています。
大治西条までのバスは、大治町に名古屋市の浄水場があることの見返り措置ですね。
あらゆる税金が上がり、こんな事なら町村でよかったと思いました。
その点北名古屋市は良く調べて居るなら良いが。 ただ我らは名古屋だ、との単純な考えならば後で泣く事に成るでしょう。
地下鉄なんか名古屋市に入らなくても引けますし、現に市バスが大治まで入ってます。