mitakeつれづれなる抄

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福知山線脱線事故の急カーブとはどんな経緯か

2009年07月15日 | 鉄道

 先日、2005年4月に起きたJR西日本の福知山線(愛称JR宝塚線)の脱線事故に間して、事故に至る線路付け替えの際に施設部長であった前社長について、公訴の提起(起訴)されたというニュースがありました。

 私の考えとしては、この事故の責任を本社の施設のトップ一人に負わせるのは無茶な話で、事故列車の運転士に科された背景を考えると、誰に責任があるというより、この風土に至った社風の追求をすべきと思いますが、現代の刑法と刑事訴訟法は、こうした事象の背景を追及する構造になっておらず、これが限界でしょうか。

 そんな責任論はここでは触れず、新聞等の報道で「線路付け替えで急カーブを作った」という点。これ意味がよく分らない方もいるやも知れず、図にしてみました。右下に尼崎駅、上の外れに塚口駅が位置します。

Tsukaguchi

 1997年のJR東西線開業に当たって、福知山線とJR東西線を直通させる為に、尼崎駅から塚口駅の間の線路配置を変えることになりました。つまり、工事前は図の左側で、尼崎から塚口駅の下りを青色の線で表示し、塚口駅から尼崎駅への上り線路は赤色の線で書いてあります。

 付け替え前は、上り線は塚口駅から「A」の地点で少し右カーブで下り線路と分かれながら、電車が突っ込んだというマンションの敷地東側を通り、暫く直線でやがて左カーブで尼崎駅へ入っていました(赤色の線)。しかしJR東西線との直通工事で、福知山線の線路を、東海道本線の内線と外線との間から分岐させる必要があり、尼崎駅~塚口駅間を旧の下り線隣に併設して上り線を敷設し、旧の上り線路は廃止しました。その結果、「A」の地点でそれまでよりも急な曲線路となったわけです。

 また報道では一切触れられておりませんが、下り線路も付け替え前よりも急な曲線路となっており、上図左の、従来は尼崎駅を発車後、一度南へ振ってゆったりカーブで東海道本線を乗り越えていましたが、付け替え後は、尼崎駅から東海道本線の下り内線と外線の間を勾配で上り、高低差が付いたところで急な曲線で東海道本線を跨ぐという、そんな配置になりました。この東海道本線を乗り越える地点が急曲線となり、線形的には改悪のような印象を受けたモノです。ただこちらは、尼崎発車直後の速度が低い所で、あまり問題にはならなかったようです。

 この「A」の地点は、かつてはもう一本単線が分かれており、上図の「A」地点から南へ灰色で描いた通称尼崎港線の線路があり、こうした三線路が分かれるこの「A」地点は、線路配置的にかなり関心の深いエリアでもありました。脱線事故前は「あそこに線路があったな」と目で追うこともしばしばでした。


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