風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

都市伝説

2010-01-10 11:14:57 | たまに文学・歴史・芸術も
 昨日は商魂のことに触れましたが、経済システムは私たちの生活を支える基礎として、現代社会が経済によって規定される部分が大きいことの表れに他なりません。しかし、なかなかに厄介なものです。
 そもそも私たちを取り巻く制度やシステムは、合理的に設計されたとしても、人間の欲深さによって大きく歪められてしまうものです。それは、人間行動において、理性が欲望を抑えられないと言うに等しく、経済システムにおいて極端な形で現れたのが、一昨年のリーマン・ショックであり、日本で「失われた10年」を惹き起こしたバブル経済でした。民主主義ですら、チャーチルはひどい政治システムだと言って憚りませんでした(が、歴史上のどの政治体制よりもマシだと付け加えることも忘れませんでしたが)。ことほど左様に、資本主義にしても民主主義にしても、その他の制度にしても、完璧なものは一つとしてなく、だからと言ってそうした事実は資本主義や民主主義の価値を貶めるものではなく、もとよりやめるわけにも行きません。そこを出発点にして、常にどこかで欠陥が露呈するものとして、これからも注意して取り扱って行かなければならないものであるに過ぎません。
 かつて冷戦時代のアメリカでは、軍と産業が結託した軍産複合体が、ケネディ元大統領暗殺事件の背景を説明するものとして、語られたことがありました。そして、産業振興のために政治不安を惹き起こす、極端な言い方をすると、軍需産業を儲けさせるために戦争を仕掛ける、そのために平和主義を唱える者は大統領でも消されてしまうと、激しい非難の対象になりました。しかし現実問題として、経済発展のためにはエンジン(起爆剤)が必要で、それが軍需産業だった時代があったわけです。
 それと同時に、この時代は、家電製品や車などの消費財が、機能や性能の進化を通して、爆発的に普及し、史上稀に見る経済成長を遂げた幸せな時代でもあり、軍需産業に光が当ることは少なかったと言えます。日本でも、1950年代には、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫といった家電製品が「三種の神器」という名で、庶民の憧れの的として喧伝されましたし、1960年代には、それらはカー・クーラー・カラーテレビ、通称「3C」の耐久消費財に取って代わられ、平成になってからも、デジカメ・DVDレコーダー・薄型テレビが「デジタル三種の神器」と呼ばれて持て囃されました。本当に必要なものだったのかと問われると疑問なしとしませんし、必要以上の機能・性能改善や行き過ぎた広告宣伝など、消費を刺激するための作為が批判され、人々はそれに踊らされた部分もありましたが、こうしたモノの進化が人々の消費意欲を刺激し、人々はモノに満たされることによって豊かさを実感し、それが高度経済成長を支えたのは事実でした。
 冷戦後、クリントン政権時代のゴア副大統領は、次の産業のフロンティアとしてインターネットに着目し、情報スーパー・ハイウェイ構想を打ち出しました。今、思うと、インターネット技術を開発したのは国防総省だった点が象徴的です。その後、猫も杓子もインターネットに群がり、インターネット・バブルを惹き起こすほどの熱狂もありましたが、我々の社会構造を確実に変え、成熟した家電産業の次を担う産業としてすっかり定着しました。
 そのゴア氏が、2006年に全米で公開された映画「不都合な真実」では、地球温暖化の危機を訴えました。それ以来、益々、地球温暖化問題がクローズアップされ、最近ではCOP15が話題になったのはご存知の通りです。かつての家電製品や車やコンピュータなどの消費が一服してしまった今、オバマ大統領はグリーン・ニューディール政策を打ち出し、官民を挙げて、エコを軸に新たな経済成長を目指しています。実は、二酸化炭素量が増加して地球が温暖化しているのではなく、統計データが示すところはむしろ逆で、温暖化しているから二酸化炭素量が増えていること、その温暖化の要因としては、二酸化炭素排出量増加は微々たるもので、太陽の活動が活発化していることや宇宙線の照射量など別のところにあること、むしろ今後5~10年で地球は寒冷化に向かうこと、といった説が、一部の専門家筋から聞こえて来るあたりは、ちょっとどころか大いに怪しげであり、かつて辿って来た道以上の作為が感じられて、どちらが「不都合な真実」なのか問い質したくなります。が、とにかく、日米のみならず各国こぞって、エコをキーワードに技術革新や製品開発への投資が活発化し、新たな産業が勃興し、経済が牽引されるとすれば、必ずしも悪い話ではありません(一般論として)。
 勿論、軍産複合体説や、地球温暖化はでっちあげで実は寒冷化に向かっているのだという説は、豚インフルエンザのウィルスが製薬会社の手によってばら撒かれた(そして製薬会社はワクチンを売ることで巨万の富を得た)という噂と同じく、一種の都市伝説なのかも知れません。その真偽は、今の私にははかりかねますが、こうした都市伝説が語られ、一定の支持を得る土壌があること、すなわち経済成長に停滞感があり、それに伴う社会的な閉塞感に見舞われていること(そう、人々が感じていること)は真実です。所詮、宗教をはじめとして人間社会に虚実は付きもので、騙されることが幸せなこともあります。ただ、人間のある種の欲望が操る、現代にあっては巨大な経済システムが、同じ人間のある種の弱みに付け込んで、人々の生活を呑み込みかねないほどに暴走するのを、私たちはうまく制御できるかどうかが重要なのだろうと思います。
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