風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

今ごろ、「君の名は。」

2017-07-22 11:28:51 | たまに文学・歴史・芸術も
 かねがね見たいと思っていた映画「君の名は。」のことは、ほぼ一年が経ち、すっかり忘れかけていたのだが、期せずしてシンガポール行き機内映画の「新作」として登場していることに気が付いた。国内興行ランキングで公開から29週連続でトップ10入りを果たし、興行収入249億円を超える歴史的な大ヒットを記録、第40回日本アカデミー賞ではアニメ作品として初の最優秀脚本賞を受賞・・・といった知名度もさることながら、CMで見せたコマ切れ映像が心に引っ掛かり、それでいて劇場に行きそびれていたものだから、こりゃもうけもの♪と、つい浮かれた気持ちで、しかし昼間の機内で、完全に暗いわけではないから、泣きが入りはしないかと警戒しながら、おそるおそる見始めた。
 人の中身(心)が入れ替わる話だから、今はどちらの方なのか気にしながら、そして最近のアニメらしくテンポよく場面が切り替わるので、ストーリーを追いかけるのに精一杯で、幸か不幸か涙など気にしている暇はない。爽やかな軽めの恋愛モノなので、さほどの感情移入もなく、美しい日本の原風景(飛騨地方の糸守という架空の町だが)や、1200年振りの彗星落下といったエピソード、通勤で使っている中央線や総武線・・・といった舞台装置の数々に気を取られているうちに、映像が実に美しいという強い印象を残して、見終わった。
 よせばいいのに、これで終わらず、帰りの7時間のフライトでも、他に目ぼしい映画がなかったものだから、もう一度、見た。ストーリーは概ね頭に入っているので、安心してそれぞれの場面や言葉のもつ意味あいを楽しむ余裕がある。すると、隅々まで目が行き届き手が込んだ作品なので、ついのめり込んで、不覚にも(否、齢を重ねるごとに涙もろくなるので、不覚でもなんでもなく)ちょっと泣けてしまった。特に二人が初めて会って会話する場面は「黄昏どき」(=「誰そ彼時」「彼は誰時」「逢魔が時」)であるのが、映画のタイトルと通じ合って象徴的で、これを糸守町の方言(?)では「カタワレ時」とも呼ぶという説明が、学校の授業の一つの光景として初めの方に効果的に埋め込まれていて、活きて来る・・・落ちて来た彗星が片割れなのか、二人の存在がそれぞれの片割れなのか・・・。
 その昔、「一粒で二度美味しい」という有名なキャッチフレーズがあったが、ストーリーの大筋を理解している二度目でも細かいところでの発見がある(一度目で発見できないのは情けないが)。一度目、歴史を変えちゃったんだなあ・・・と漠然と引っ掛かっていたが、二度目、それがそもそも作品のモチーフの中核をなす「糸」で、それを取り巻く縦横の細い「糸」が面白おかしくも切ない人間模様を織りなす仕掛けになっていることに気が付く。実際に、象徴としての組み紐に重要な役割が与えられている。キャラクター造形も魅力的で素晴らしい。なにしろ1200年の伝統を守り抜くこと自体が、世界広しと言えども日本以外ではあり得ない事象であり(対抗できるのはバチカンくらいか)、そんな日本の伝統と自然と文化、とりわけ伝統を守ることの神秘が(例えばバチカンの教会の奥の院で行われるのではなく)ごく日常の中に息づき、美しい自然と都会の生活が併存し、登場人物は限りなく優しい、日本のアニメとしてこれ以上のものはないテーマである。ずるいよなあ・・・と思いながらも、日本のアニメの完成度の高さをあらためて思い知らされる、切なく、ほっこりする、温かみのある作品に仕上がっていて、楽しませて頂いた。
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