風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

ジャスミン

2011-02-04 00:59:11 | 時事放談
 地中海沿岸のアラブ情勢が緊迫しています。
 当初、チュニジアの政変と言われてもピンと来ませんでした。トランペット奏者のディジー・ガレスピーが、ピアニストのフランク・パパレリとの共作で作曲したジャズのスタンダード・ナンバー「チュニジアの夜」が思い出されますが、どちらかと言うと日本人には馴染みがありません。しかし歴史を紐解くと、古代フェニキア人が交易拠点とし、古代フェニキア語で「埃っぽい」という意味の「アファル」などを語源として、現在のチュニジア近辺を「アフリカ地域」と呼んだのが「アフリカ大陸」という言葉の始まりと言われるほどの由緒ある地で、後にカルタゴが建設され、名将ハンニバルが古代ローマを滅亡寸前にまで追いやったと言われれば、誰もが、これがあれかと、納得するのではないでしょうか。今なおフランスやイタリアを中心とするEU諸国との貿易の占める比率が高く、独立前はフランスの保護下にあったことから、フランス語も広く普及しているそうです。観光地としても人気があり、アラブの優等生だったはずですが、1月14日にベン=アリー大統領が国外逃亡し、23年の長きに亘った独裁体制が崩壊しました。
 そしてチュニジアの民主化デモと政情不安は周辺諸国にドミノ現象のように波及し、29年もの長期独裁政権を維持してきたエジプトのムバラク大統領が2月1日に次期大統領選への不出馬表明に追い込まれたのに続き、アラビア半島諸国で唯一共和制をとる立憲国家であるイエメンのサレハ大統領も翌2月2日に次期大統領選への不出馬を表明しました。いずれも、長引く不況で若年層の失業率が高く、金は天下のまわり物と言いますが、リーマン・ショック以後の金融緩和による金余りが商品市場に向かって食料価格を高騰させ、民衆の不満が長期独裁政権に向けられる形になったことに加え、これら政変劇に、フェイスブックやツイッターから、ウィキ・リークスによる政権腐敗の情報、ユーチューブの音声動画まで、ソーシャル・ネットワーク・メディアをはじめとする様々なインターネット情報ツールが一定の役割を果たしたことも話題になりました。
 こうした新しいメディアを過大評価するべきではないと思いますが、電報や固定電話からインターネット、電子メールや携帯電話へと、何十年もかけて慣れ親しんで来た私たちと違って、一気にツイッターや携帯電話を与えられた新興国の人々の行動に与える影響は決して小さくはありません。現象としては、20世紀初頭の日本で、大正デモクラシーや普通選挙権に象徴される大衆民主主義の広がりとともに、一般大衆の間に芽生えた政治参加の高揚感が、その未熟さ故に暴走してしまった危うい歴史を連想させます。当時の日本では、政治が(今も昔も)政局にかまけている間に信用を失い、いつの間にか地方の貧農出身の青年将校が一般大衆の思いを受け止め、徐々に発言力を増して行きました。今、中東諸国では、人々の思いが一瞬の内に昂ぶります。
 エジプトを数少ない友好国としてきたイスラエルは、イスラム原理主義の台頭を警戒し、中東情勢は一気に流動的になりました。極東の中国も、民主化運動の飛び火を警戒します。金も情報も、天下のまわり物、グローバル時代の思わぬ影響に、目が離せません。
 チュニジアの政変劇は、チュニジアの国花にちなんで、ジャスミン革命と呼ばれるようになりました。上の写真は、シドニーのマンション玄関に咲いていたジャスミン。
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