走るナースプラクティショナー ~診断も治療もできる資格を持ち診療所の他に診療移動車に乗って街を走り診療しています~

カナダ、BC州でメンタルヘルス、薬物依存、ホームレス、貧困層の方々を診療しています。登場人物は全て仮名です。

冷たくならなくても良いのです

2019年04月03日 | 仕事
言葉って難しい。人にわかってもらえるようの説明するってもっと難しい。

前回書いたブログの中のダンスの話。患者と一緒にダンスをするのか、患者がダンスをするのを見守るのか、この2つの違いがわかりますか?

一緒にダンスをすると近づきすぎて患者が見えなくなる。
ダンスフロアの外から見守ると、患者がどうダンスしているかみ見ることができる。つまり距離を置くからこそ患者の全体像が見える。ここが大きく異なります。
患者に対して客観的かそうでないかとも言えます。
恋をして周りが見えなくなってしまう、にも似ています。
患者をケアする中で自分を見失うような立場に身を置く事、近づきすぎて視野が狭くなるような位置に身を置くことをプロフェッショナルだと言えますか?

患者に対して冷たくなれとか機械的になれと言う意味ではありません。

患者と距離を置く事は、患者の個人のスペースをリスペクト(尊重)すると言うことでもあります。日本では看護師として患者に「尽くす」的な意見が出ることもありますが、それは北米では絶対ありません。私たち医療者も人間であって完璧でも超人でもありません。勿論疾病で健康が阻害されている人は病人という名もあり、健常人の私達とは同じではないから尽くさないといけない、という意見もあるかもしれません。しかし病んでいても健やかでも同じ人間。お互いに尊敬し合うという事は重要です。ですから患者に無理強いをされたりする事はあってはならない事です。

プロとしての関係とは病人と医療者の関係上で、私たち医療者は回復や健康の推進を目標に患者や国民のサポートする任務があります。サポートと書きました。精神的、身体的自立を促すという事です。患者が真ん中にドンと寝っ転がってて、本人は意欲のかけらもないのに周りが走り回っているのはサポートではありません。患者中心のケアは患者の意思を活かしたケアです。手取り足取り、なんでも患者の言うなりに、回復の過程とは全く無関係な事で召使いのように動き回るのは看護ではありません。

患者の全てを受け入れる〜こんな事が全員に対していつも出来る超人がいたら会ってみたい。
尽くす〜 献身的に、、、から来てるんだろうけど、これを強制する人は宗教の勧誘に近いものがあると思うのは私だけ? 尽くすより「誠意」に変えたら?
患者の痛みを知る〜人の気持ちを完全に知る事は不可能!知ろうとする態度と知ったつもりの態度には大きな違いがある
患者のために我慢する〜 医療職の前に私は人間じゃ!!!!

プロ、プロと何度も言いますが看護師時代今も患者にこよなく慕われるのは私です。しかしきっちりプロはなんぞやを意識して働いているのも私です。よって優しさや献身的な態度が看護力を反映するものではないと私は断言します。




我が家の庭にも春です。

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