走るナースプラクティショナー ~診断も治療もできる資格を持ち診療所の他に診療移動車に乗って街を走り診療しています~

カナダ、BC州でメンタルヘルス、薬物依存、ホームレス、貧困層の方々を診療しています。登場人物は全て仮名です。

業務上過失致死の拡大解釈

2020年10月05日 | 仕事
昨日の続き

こちらのビデオは空中で航空機2機が衝突しそうになった2001年の事故です。死亡者は出ませんでしたが大勢の方が重軽傷を負っています。事故解説の内容は難しいのですが、ビデオの後半に注目してほしい。

誤った命令を出した地上管制官二人が起訴された事に対して「人間のミスを完全に防ぐのは不可能で航空機の運航は一人で行なっているのではなく様々な法律、機関システムによって成り立っている為一個人に責任を負わせるべきで無い事、今後航空機事故が起きた場合関係者が罪に問われる事を恐れ適切な証言をしなくなり、事故の検証や安全性の向上を阻害する恐れがある」とい言う起訴反対論が出ました。この反対論をどう思いますか?

少し話を変えます。事故で死亡者が出た場合、メディアでも一般の方の間でも頻回に使われる言葉が「私の家族は殺された」。間違いではないと思います。偶然遭遇した事故により命を落とすわけですから。しかし殺されたのは「OOと言う個人によって殺された」と言うのか「OOの事故で殺された」と言うのでは大きな違いがあると思いませんか?

前者は原因が個人で、後者はインシデント(事故)。事故と言うのは意図的な行為は一切含まない複数の要素が重なって起こってしまう事象。ここで言う意図的行為は人を殺そうとする意図です。管制官は事故を起こそう、人を殺そうと言うような意図がなかったので刑事責任を追及するのはできない。北米でもそうなります。

昨日のブログ記事で書いたように、「個人の不注意」のみで事故が起こったわけではありません。飛行機の設計不良、飛び慣れていない機種の副操縦士による運転、指導する場の機長がトイレへ行った事などなど。それらを改定せず個人の不注意にするだけでは同じ事故は繰り返されます。忘れないでください。人間はどんなに訓練をしてもミスを起こすのです。

で、私が日本のここがおかしいと思うのは個人の責任として刑事責任を追求する風潮です。航空機事故のみならず、医療者に対する刑事責任追及が日本では行われています。どうしてなのでしょうか?

医療者の立場を利用して殺害を意図として対象者である患者を殺傷した場合、刑事責任に問われるのは当然です。以前にカナダで看護師がインスリンを使用して連続殺人した事件はこちら。

しかし医療者として患者の命を守る使命(善意)をしている最中に医療ミスにより患者が死亡する。これは殺傷の意図がない行為の結果です。損害を起こしたので民事上の責任はありますが、刑事責任を問うのは全く持って理解できません。理由は上記の「 」内容です。個人を責めて終わりにする風潮はニアミスの時点で安全ネットが厚くならず、事故を隠す風潮になります(インシデントリポートはニアミスから防ぐ事で大事故を防ぐためのシステム的な安全ネットを作り出す事が目的)。そしてビデオの中で言っていたように、個人責任の追求を求める世になると、人命に関わる危険な仕事に誰も就かなくなります。人間に完璧性を求めても人間は持ち合わせていないのだから。

もちろん遺族の立場からは愛する人をなくした原因、そのための刑事責任と言う視点もわかります。しかし先に述べたようにそうすると、より安全な社会は構築されないのです。責任は事故調査によるシステム改善と言う形で行われて、昨日よりも安全な航空業界、医療界に貢献しているのです。決して故人の死を無駄にしているのではありません。

そしてもう一つ、個人の責任を追及する風潮は企業などの雇用主に都合の良い状況を作り出します。本来ならば人間の不完全性を考慮した安全システムを構築できなかったのは企業などの団体であるのに、個人の責任に注目が行き、企業は責任逃れができるからです。一人を血祭りにあげ遺族や市民は納得、本当の責任者は裏で胸を撫で下ろしている絵に見えてしまいます。

そして、逮捕されると拘束され起訴されるまで拘留される。尋問は航空業や医療の知識が全くない警察官によって行われる。これっておかしくありませんか?日本での刑事責任の話をカナダ人にすると全員が口を揃えて信じられない!と言います。この反応は医療者でも一般人でも同じです。

北米では医療ミスも航空業界のようにインシデントとして調査改善するシステムがあります。そして以前に書いたようにあげっぱなし免許ではなく、毎年の更新、更新の為に課せられている条件をクリアしなければならないし、免許団体はスタンダードやスコープを作り免許保持者の水準維持を行っています。このレギュレトリーボディー(免許を管理する団体)が州民を医療者から守るので刑事が介入する必要が無いのです。しかし日本にはこれがありません。だから医療ミスから刑事責任が発生するのでしょうか?

上記の管制官二人は起訴され、有罪判決が出され、国家公務員法により失職しています。北米では絶対起こらない結末です。彼らは緊迫した状況の中で知識と技術と情報の中でベストの行動をしていたのだから、罰せられる理由はないのです。客観的に見れば物事がよく見えるようになるのは当然です。しかし渦中にいる人間の動揺や判断力を科学的に分析すれば、その成り行きは理解できるはず。だから人間に完全さを求める社会ではなく、それを補うシステム構築が重要になるのです。

ミスをしない医者だっているではないか!と反論しますか?それはその人がたまたまラッキーなだけなんですよ。航空機事故に遭う人と遭わない人がいるように、たまたまラッキー、たまたま不運これぐらいの差なのです。それなのに不運にあった為に刑事責任を問われ、免許を執行し、社会的制裁も受けるって不条理にも程があります。本当におかしい日本です。

続く


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