miss pandora

ONE KIND OF LOVE

愛にはいろいろ種類があるの
全部集めて地球になるの

こもごもの・・・こと

2018-03-15 11:35:37 | 展覧会
A●●-PUNKは、年始から「官能」について取り組んでいる。

実は、30年以上前からずっと私のモチーフとして裸婦があったのだけれど、修行や経験や知識は、それについてよく考えるのを拒んでいた・・・というか、モチーフとしての役割以外は、私の中で、無かった。何故なら、風景画を目指していたからなのよね・・・

思考をなるだけ「左脳的に」しようと思えど、慣れていないし本物のアンドロギュノスじゃないし、、、ついつい「右脳」で妄想し、左脳に戻して、自分のストロークに委ねるのは・・・実は、大変で・・・だんだんめんどくさくなる。

それに関しては、写真集が出来そうなくらいのセルフィーと個展が出来るくらいのクロッキーをしていた。たがしかし・・・セルフィー(自撮り)についての概念がFBやインスタグラムによって、へんな意味で確立されていることを娘から聞いた。だから、シャッターは、しかるべきプロか、意味のある第3者が切らなければならないんだと・・・。誰がシャッターを切ったがが、受け手がわの感性に直にフォーカスするんだとさ。
まぁ、かなり説得力があり、納得しつつ・・・欲張りなので、あの時間とこれらのブツについて、私は生産的でありたいと思うのよ。

昨年、亡くなった鬼丸吉弘先生のことを思いながら・・・彼の最終講義「芸術家と学者」を思いながら、もう彼に相談できないと嘆きながら・・・エゴイスティックな欲求としてアーティストは、その生産物を見せたい、しかも願わくば「魅せたい」という欲望をどうやってソフィストケイトするのか・・・

萎えそうになって、母親に電話をかけた。
正月明けの2週間は、実家で毎日真剣に今年のテーマに取り組んでいる姿を彼女は、知っていて・・・たまに、手のモデルもしてもらっていたからさ。
官能とセクシーとエロティックなことに、「創る側と観る側には共感はあるのか」とか、「自由」の本質とか・・・そして、私が今取り組んでいるのは、リベラルアーツとしての「art」なのか、それとも「神さまの領域(自然科学)」への憧れなのか・・・母親と話すのは、とても面白かった。遊びではない「生産的」な思考やプロセスについて、また考えた。


5月の展覧会の下絵の一部は、実験として最長端が2mになるようにスタッフに渡した。

私は、開示の方法論を考えながら、たぶん
「神の見えざる手」=の何かを期待して、何かを諦めるんだと思う。

それもまた・・・いい。
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