クライミング日記

クライミング初体験3日前から今日までのごくごく私的なクライミング日記。と、番外編で山行日記。

相川先生 2007/07/03 Tue

2007-07-03 23:59:59 | ChapⅤBigRock2007
相川先生がお亡くなりになったと、ママから連絡がきた。近い将来、二度とお会いできなくなる日が来ることは知っていた。それでも、悲しみの大きさが変るわけではない。私が伊豆の踊り子(5.12a)にトライする時MOVEをこっそり教えていただかなくっちゃいけないから、それまで元気でいて下さらないとダメ!って約束したのに。

相川先生にご挨拶させていただくようになったのはいつ頃だっただろう?とにかく、クライミングを始めて、間がない頃だ。ヨタヨタ登っている私を見かねて、「よその生徒さんにちょっかいだしたら、怒られちゃうかな?」「アッコさんには内緒だよ!」と、いつもコッソリ登り方を教えてくださった。
お会いする度に、登れたルートの報告をして、「先生、褒めて!」と私が頭を突き出すと、いい子いい子してくださりながら、「がんばったねぇ。」「すごいねぇ。」と、おっしゃってくださった。それが、いつの間にか、報告をしても、「もう、それくらい登れるよ!」と、言っていただけるようになって、ちょっと自分が成長したようで嬉しかった。
今年の冬、いつものように幕岩で先生とおしゃべりしていると、いきなり「今ね、タトゥを彫ってるんだ!」と先生がおっしゃった。「またぁ、本当に?」と、からかわれているのだと思い、チャラチャラ会話をしていると、「ほら!」と洋服をめくりあげて、彫りかけのタトゥをお見せになった。私は、ビックリして、「えっ、本当なんだ!」「痛くないんですか?」「どんな模様になるの?」と、矢継ぎ早に質問をした。先生の答えはシドロモドロで、なんだかチグハグな会話だった。
帰り道、「今日ね、相川先生がね、変なのよ。」とママに話していたら、「いく、知らないの?」と、相川先生の病気の話を聞いた。治らない病気で、昨年、相川先生は生前葬をなさったとか。あれは、タトゥなんかじゃなくて、治療跡だった。この冬、私は幕岩ゲイシャワルツ(5.11b)にトライしていた。TRを出す位置、私が出来ないMOVE、いつものように相川先生がこっそりと教えてくださった。だけど、どうしても光の見えない1手がある。今シーズンは封印!と、考え始めた頃の出来事だった。
ゲイシャワルツ(5.11b)は小暮氏と相川先生が開拓なさったルートだ。ゲイシャワルツ(5.11b)封印解除!なんとか登って、いつものように、相川先生に報告をして、「もう、それくらい登れるよ!」といっていただこうと思った。私が頑張っている間は、相川先生がずっと岩場にいてくださるような気がした。
最後にお会いした日、「今朝は具合が悪くてね、2人(スクールの)応援に来てもらったんだ。それがね、岩場にきたらシャンとして登れるんだよ。」と笑っていらした。私は、ご病気の事を聞いたとは言えなくて、「先生、具合が悪いなら無理しないで。私が伊豆の踊り子(5.12a)にトライする時MOVEをこっそり教えていただかなくっちゃいけないから、それまで元気でいて下さらないとダメ!」と、何も知らないふりをして答えた。しばらく話し込んでいると、「いつも目がキラキラしてるね。」と相川先生が突然おっしゃった。私の目がキラキラしていたとしたら、あの日、涙を一生懸命こらえていたせいかも知れない。お登りになる先生は、病気だなんて思えなかった。
あの日から、桃源郷に出かけても先生にお会いできなくて、帰りの車中、「相川先生、いらっしゃらなかったね。」と話す日が続いた。今、投薬期間中なんだと、思い込もうとした。そのうち、先生がいらっしゃらない事を認めたくなくて、桃源郷に行きたくなくなった。きっと、夏になったら小川山で、冬になったら桃源郷で大重丸で、また、ご一緒できるはずだと思っていた。
私のゲイシャワルツ(5.11b)は、結局、登れないまま季節が変わった。相川先生のお教室の方に、先生のお加減がよくないと言う話を聞いていた。そして、昨日、先生の訃報を聞いた。相川先生、私、まだ、ゲイシャワルツ(5.11b)伊豆の踊り子(5.12a)も登れていません。

ママと一緒に、相川先生の告別式にお邪魔した。遺影の中の先生は、私がはじめて先生にお会いした日よりも、少し前の写真だろうか?いつものように、帽子をかぶってマフラーをしたオシャレな先生の写真だった。
私は子供で物分りが悪いから、まだ、先生のご冥福をお祈りできるほど、気持ちの整理がつけられない。

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12 コメント

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... (ssk)
2007-07-03 23:30:05
全然知りませんでした。また寂しく思います。。。
... (iku)
2007-07-04 01:21:15
本当に、悲しくて悲しくて...
前の日 (吉川)
2007-07-04 06:43:12
通夜に参列しました

妻の恩人です アルバムコーナー最後に先生を目に焼け付けようと皆さん見られていたのが印象的でした

御冥福をお祈りします

アルバムコーナー (いく)
2007-07-04 08:27:24
そうですね。
告別式でも後ろに並ぶ人をチラチラ気にしながら、それでも皆さん、最後のページまでアルバムのページをめくっていらっしゃいました。
私は泣けてきちゃって、とてもきちんと見ることが出来ませんでした。
奥様の悲しみはとてもとても大きいと思います。
労って差し上げてくださいね。
ご冥福祈ります (さだ)
2007-07-04 16:55:32
全然しりませんでした。生前、幕岩で一度、ヌンチャクを回収して貰った思い出が、あります。
合掌!
多分 (いく)
2007-07-05 07:53:10
幕岩をウロウロした事のあるクライマーには、みんな、1つや2つは先生との思い出を持っていて、みんな、桃源郷付近に行けば先生がいらっしゃると思っていて・・・、そして、みんな今回の出来事を悲しく思うような先生でしたね。
君が初めてトライしたルートは… (黒澤と@猫の森)
2007-07-09 23:25:27
幕岩の「アボリジニ(5.10a)」を覚えているかい?

あっこさんに、君を預ける時「アボリジニを、テンション混じりながら、上まで抜けたんだ。非力だけど、いいセンスしてると思うからヨロシク」ってね…あれ(右カンテへのハイステップ)は、相川さんに教えてもらったムーブだったんだよ^^

英人っちゃん(小暮氏)も逝っちまったが、今頃、相川さんと一杯やってる頃だろう。
僕も「ナバロン(5.11a)」って宿題が残っちまった。
踊り子…是非とも、オンサイトでトライしろよ^^テンションかけたら、由美子さんに怒鳴られるぞ^^;
そう言えば (いく)
2007-07-10 00:45:03
いつも、たどたどしく登る私を見かねて、MOVEを教えてくださる相川先生が、アボリジニ(5.10a)を登る私に声を掛けて下さる事はなかったような気がする。
私のMOVEは黒澤先生経由の相川先生MOVEだったからなのですね。

これ以上、書けないや(._.)
私は、まだまだ、相川先生を思い出にはできません。
屍を越えて行け (黒澤と@猫の森)
2007-07-10 12:27:51
僕らが登っているルートの多くは、先人が道を付けてくれたもの。
先人に感謝する気持ちを忘れない…とっても大事な事だね^^

マタギの世界に「祝儀不祝儀の時は山へ入るな」って言い伝えがあるそうだが、
これは浮ついた気持ちで山へ入る危険を戒めたもの。厳しいようだが、クライミ
ングは身体張った真剣勝負だ、自分なりに気持ちの整理をつけてから行くんだよ^^

それと…もう「先生」はやめようや…
少々頼りねぇが、君はもう一人前のクライマーだ。照れ臭くていけねぇ^^ヾ
そうですね (いく)
2007-07-11 01:18:34
> 黒澤と@猫の森さん(って書くのもかなり気恥ずかしいんですけど(-_-;))

全く、その通りですね。
しっかり、気持ちの整理をつけて、前に進んでいかなきゃ(._.)

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