むかしむかし、秦の始皇帝の時代に、斉の道士・徐福(じょふく)という人がいました。
徐福は、始皇帝から不老長寿の霊薬を探してくるよう命じられ、東海の三つの神山に派遣されました。
紀元前3世紀のことでした。
一説では、徐福は巨額の援助を受けるために始皇帝に取り入ったともいわれていますが、その後広大な土地を発見し、秦に戻ってくることはなかったといいます
彼がたどり着いたのは蓬莱山だったり、タンシュウという土地だった、などといわれています。
この徐福が統治したといわれる場所は、日本各地にもあるんです。
むかしから有名なのは熊野で、和歌山県新宮市の阿須賀神社あたりが有力とされています。
神社の裏には蓬莱山があり、徐福が摘み取ったといわれる天台烏薬とよばれる薬草があります。
ほかにも、タンシュウは種子島であるとか、吉野ヶ里遺跡周辺にも徐福伝説が伝わっているとか。
佐賀県の金立神社では、徐福は医薬と稲作の神としてあがめられています
徐福伝説が残る場所には共通点があります。
それは、ほとんどの場所が海沿いの平地で、弥生時代の稲作地であるということ。
そこから、「徐福」は亡命集団を擬人化したもので、稲作を伝えた渡来人の総称なのではないかともいわれています