憲法制定の実情をもう少しくわしく書いてみます。
「日本への警告」林房雄著より
去る4月30日の毎日新聞投書欄には、社会党の長老猪俣浩三代議士の次のような言葉がのっていた。
「“アメリカが銃剣を突きつけて作った憲法”とのこと。制定過程を見れば、たしかに“与えられたもの”であることは否定できませんが、果たしてそう屈辱的に言いきれるでしょうか。特に第9条は、当時の幣原首相から総司令部に申し入れたことで、米国側も予期せぬ事と驚いたと、マッカーサーの米上院での証言、幣原氏の数々の談話等で知れます。まさに、9条は、当時の日本人の心を表現したものです」
これはトインビーの第9条観とよく似ている。一年前の私だったら、この見方をそのまま受け入れたかもしれぬ。おかしいなと思いながらも、反駁の論拠がないままに、ひきさがったに違いない。 しかし現在の私はすこし“占領憲法の歴史”を調べすぎた。真実を知りすぎたので、猪俣代議士の見解は間違っている、と自信を持って発言できる。
(略)
占領憲法は、この混乱期に、しかも占領軍の絶対権力下で、日本人の“国民感情”とは無関係にアメリカ人によって起草されて当時の占領協力政権にすぎない日本政府に強制されたものであった。
何よりも事実に即して、その成立過程を調べてみよう。
(略)
憲法問題の重点は第9条だ。
吉田茂の「回想」には次のような一節がある。
「この戦争放棄の条項を、誰が言い出したかという事について幣原総理だという説がある。マッカーサー元帥が米国に帰った後、向こうの議会でそう言う証言をしたと言うことも伝えられておって、私もよくそのことをたずねられるが、私の感じではあれはやはりマッカーサー元帥が先に言い出したことのように思う」
第2の証言として『ニッポン日記』の著者で、アメリカ新聞記者のマーク・ゲーンの登場を願う。彼は当時の新憲法起草者の一人であるホイットニー民政局長と特に近かったので、彼の証言は吉田茂のそれにおとらず重要である。
『ニッポン日記』21年3月6日の項には、 「一ヶ月ほど前のある晩、マッカーサー司令部の民政局の首脳将校たちは、極秘のうちに、日本の新しい憲法を起草するよう命じられた。第一ホテルの一室で開かれた非公式な会議で、新憲法の総括的な輪郭が描き出された。その翌朝、ホイットニー准将は、部下全部を会議室に招集した。 彼はいとおごそかに言った。
“紳士並びに淑女諸君、これはまさに歴史的な機会である。私は、いま、諸君に憲法制定会議の開会を宣言する”」
日本人の一人も参加していない日本国憲法制定会議!このような、あり得べからざることがあり得たのが、占領政治である。
マーク・ゲーンはつづける。
「マニラの弁護士出身のホイットニーは、多分に役者でもある。この演説の中で、彼は厳粛味と哀調と政治的長広舌とを、たくみに交錯させた。
“現在の日本における最も緊急な問題は憲法制定である。しかるに、日本側によって準備された草案のすべては、全く不満足なもので、総司令官は今や自分が介入する必要がある、と感じられるに到った。かくて我が民政局は、新憲法を起草すべき命を受けた。日本側の全く意表をつき、彼らが効果的な反抗を企て得ぬようにするため、極度の迅速と機密が要求される”
ここでホイットニーは、マッカーサー元帥が新憲法中に期待する三原則を読み上げた。
1.日本は戦争を永久に放棄し、軍備を排し、再軍備しないことを誓う。
2.主権は国民に帰属せしめられ、天皇は国家の象徴と叙述されること。
3.貴族院制度は廃止され、皇室財産は国家に帰属せしめられること。
その前夜の非公式会議に出席した人々にとっては、この第1項目は全く不意打ちだった」この不意打ちは、やがて日本人への不意打ちとなるのであるが、この段階では一切は「密室の中の作業」であった。
「はじめは、この新憲法を十日間で書き上げたい意向だった。ホイットニーは2月22日-すなわちジョージ・ワシントンの誕生日に、新憲法が日本政府によって発表されることができるようにとの希望を表明したのである」
「アメリカ及びヨーロッパ諸国の憲法の熱狂的な勉強が始まった。しかし新憲法は大体において、まさに廃棄されんとする明治憲法の形を踏襲した。ケーディス大佐(民政局次長)と海軍のフッセイ・ジュニアー司令官が前文を書く仕事を受け持った。戦争と軍備を放棄する条項の規定は、もともとマッカーサー元帥自身によって書かれた、と見なす十分な証拠がある」







