河野美砂子の「モーツァルト練習日記」+短歌+京都の日々の暮らし

9/28(土)13時30分 NHK文化センター京都「マズルカ⑪」Op.63、バラード第1番他 

角川『短歌』8月号など

2013-07-30 12:09:10 | 短歌
角川『短歌』8月号(ただいま発売中)の「特集・うたの余白」に4ページ書きました。
散文で「アンドーナツ」という題です。

「現代短歌新聞」と「うた新聞」7月号、「短歌往来」9月号には何首か新作が。。。犬の歌などです。。。。

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3 コメント

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アンドーナツ拝見しました (TOTORO)
2013-08-07 08:21:17
 河野裕子さんの悲痛な歌集は以前に私も読んで感銘を受けました。ところで文中で紹介されていた「豆ごはん」の歌って、先生がおっしゃるような「食べることがこのように悲しくなる」歌なのでしょうか。作者は豆ご飯が大好きで、緑の一粒ひとつぶをじっくり味わって食べて満足したのだと感じた私は変ですか?
 それとも読み方によって悲しい歌にも明るく健康的な歌にも聞こえるところがこの歌の「深さ」なのでしょうか?そういえばモーツァルトにも長調でありながら聴き方によっては何かもの悲しく聞こえる曲ってありますよね(K332のソナタのように)。
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豆ごはん (河野美砂子)
2013-08-11 00:43:22
「かなしくなる」とひらがなで書いたはずですので、「愛しい」の意味にも。
広辞苑によると「かなしい」は、自分の力ではとても及ばないと感じる切なさをいう語。悲哀にも愛憐にも感情の切ないことをいう・・とのことです。
おっしゃるような鑑賞ももちろんアリだと思います。
ただ「食べてをり」ではなく「食うてをり」、すなわち「クーテヲリ」あたりの音感が、何か明るい感じには取れなかったのですね、私としては。。。
「たべて」なら健康的ですが。
つぶりぶつりなど他の音もウ音オ音などが多いので(マメゴハンの音は明るいですね)、どうも直感的に明るく取れなかったのでしょう。
もっとも、私は他の河野裕子の歌も多く読んでいるので、バイアスかかってることもあると思います。
おっしゃるような、モーツァルトの、光を含むさびしさに通じる感じは当たってるかも。
短歌っていうのは、「場」によって「読み」が変わる、っていうのが、欠点でもあり魅力でもあります。
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ありがとうございました (TOTORO)
2013-08-11 13:14:41
 歌人である先生が私のようなド素人の問いにきちんとお答え頂き恐縮しております。そうですか、短歌というのは言葉の意味だけでなく音感からも作者の気持ちを感じとらないといけないのですね。うーん、深い!
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