昨日金曜日、1ヶ月ぶりの歌会。
16首出詠。
N津さんは、アメリカから。
出席者は10人。
この中から5首選歌するのに、
なんだかみんな良い歌に見えてちょっと困るくらい。
これっていいことなのかそうでないのか……。
何年か前の歌会(左岸の会など)では、
出されているほとんどの歌の良さがわからず、
5首選ぶのが苦痛だった記憶があるけれど。
でもその時の歌会では、
他の方の話を聞いているうちに
少し理解できたり、
あるいは、私とは違う価値観や歌の読みを知ったりしました。
今、私が危惧するのは、
神楽岡歌会のメンバーの中でのみ流通する「価値観」が
知らず知らずのうちにできつつあるのではないか、
ということ。
このことは、昨日の歌会後の飲み会で
以下の話を聞いたのが発端。
先日、東京で行われた
T木さんの新歌集の批評会で
東京の参加者の「読み」や「価値観」が
いわゆる神楽岡歌会流とは違う、という話。
批評会には、
神楽岡歌会メンバーも何人か参加していて
皆がけっこうそう感じたらしいです。
私はその批評会には出席していないのですが、
それは大いにあり得ることと思いました。
神楽岡歌会は、今、
別な価値観を持つ人にも参加してもらうべき、
と私は考えますが???
16首出詠。
N津さんは、アメリカから。
出席者は10人。
この中から5首選歌するのに、
なんだかみんな良い歌に見えてちょっと困るくらい。
これっていいことなのかそうでないのか……。
何年か前の歌会(左岸の会など)では、
出されているほとんどの歌の良さがわからず、
5首選ぶのが苦痛だった記憶があるけれど。
でもその時の歌会では、
他の方の話を聞いているうちに
少し理解できたり、
あるいは、私とは違う価値観や歌の読みを知ったりしました。
今、私が危惧するのは、
神楽岡歌会のメンバーの中でのみ流通する「価値観」が
知らず知らずのうちにできつつあるのではないか、
ということ。
このことは、昨日の歌会後の飲み会で
以下の話を聞いたのが発端。
先日、東京で行われた
T木さんの新歌集の批評会で
東京の参加者の「読み」や「価値観」が
いわゆる神楽岡歌会流とは違う、という話。
批評会には、
神楽岡歌会メンバーも何人か参加していて
皆がけっこうそう感じたらしいです。
私はその批評会には出席していないのですが、
それは大いにあり得ることと思いました。
神楽岡歌会は、今、
別な価値観を持つ人にも参加してもらうべき、
と私は考えますが???