セレスティアル・アート SOPHIA

本当の自分に繋がる、戻っていくために、チャネリングで下ろした高次元の図形達。
天界のアートです。

自己否定、自己無価値観、自己憎悪

2017-06-17 03:44:45 | 気づき・つぶやき

『愛として生きる』を描き上げてから、自分の中の1番見たくなかったものについて、それをちゃんと見て認識する、つまり向き合って解放していく準備ができました。それから1か月半ほど、日々その自分自身に対する罪悪感の投影である問題に対して、赦しのワークをしていました。
自分の中にあるけれど見たくないものを外側に、自分以外の人に投影もするけれど、投影って自分自身にも行います。それは自分が抱えている問題として投影します。

自分自身への罪悪感の投影って、自己憎悪。赦しのワークをしていくと、自己憎悪、自己否定、自己無価値観のどれも、自分自身への攻撃だなと感じました。

奇跡のコースでは、すべての問題の原因は神から分離してしまったという間違った思い込み。本当は分離なんて不可能なのに。
私達は、神から分離してしまった、神の力を横領して自分だけで創造しようとしたというものすごい罪悪感から逃れるために、この幻想の世界を作って否認・投影して問題を作っている。
罪悪感があると、必ず罰せられるかもという恐れが生まれる。だから防衛をしようとする。

私が自己憎悪、自己否定、自己無価値観を自己への攻撃と感じたのは、神に罰せられるぐらいなら自分で自分を罰した方がきっと軽いって思っているからだと。
他の人から自分のことを悪く言われる前に自分で自分を否定するようなことを言うことで、傷つかないように防衛しているみたいな感じ。

自分への罪悪感の投影を日々赦して赦していくと、だんだん自己否定や自己無価値感が薄れていっています。
赦す中で、自己憎悪や自己否定、自己無価値感は、『私は人である』という意識を維持するためのアンカー(船の碇)になっているということに気がつきました。
本来の私達は不死のスピリット。人間ではない。死んだら終わりっていう存在ではない。
この幻想を夢見ている者が本当の私なら、その私は人ではない。夢の登場人物ではない。

自己憎悪、自己否定、自己無価値感を完全に手放すことができたら、もしかしたら『私は人である』っていう意識のない、制限のない“私”になるのかもしれません。







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