
日時:平成31年2月3日 14:00~14:30
場所:島根県立石見美術館
コレクション展「あなたはどう見る?よく見て話そう美術について」
作品名:展示ナンバー1:アーヴィン・ブリューメンフェルド
エリザベス・アーデンの広告写真のための習作「エイジ・オブ・エレガンス」
(10点組)1948年頃(1984年) ダイ・トランスファー・プリント
展示ナンバー2:アーヴィン・ブリューメンフェルド
キュビズムで表現された紫のヌード「エイジ・オブ・エレガンス」
(10点組)1949年(1984年) ダイ・トランスファー・プリント
展示ナンバー3:アーヴィン・ブリューメンフェルド
モデルとマネキン,表紙のための習作「エイジ・オブ・エレガンス」
(10点組)1945年(1984年) ダイ・トランスファー・プリント
ナビゲーター:津室
参加者:20名(内みるみる会員4名)

<作品選択の理由>
展覧会のトップを飾る1から,大変気になる作品群だった。
1週間前の前回,4~6の作品を扱ったときにも,
この3作が展示の一連の流れとして気になっている参加者もいたようだったこともあり,取り上げることとした。
女性や女性のマネキンが入り交じっていて,一見しただけで不思議な印象の作品群である。
鑑賞者がそこをどのように解釈し,話し合っていくのか,おもしろい展開が期待できそうだと思った。
<トークの大まかな流れ>
(参)・・・参加者の発言
(ナ)・・・ナビの発言
(☆)・・・ナビの見解やみるみるメンバーの振り返りを踏まえての解説
(参)3点はシリーズものなのか?2だけ違う。シリーズもののようだが。
1の手は人間らしいが,顔がセルロイドでできているよう。
3の右側は生身の人間だが,左側は等身大の人形の顔のように見える。どう見たらいいのか。
(ナ)生身の女性と人形と,迷わせるような印象がある。
(参)赤が印象的だと思った。
(ナ)どこの赤?
(参)1は,爪のマニキュアとかルージュ。口紅とか,塗っているもの。
3のいちばん左側のも唇が真っ赤っかなので印象的。
真ん中は全体的に赤が入っている。
(ナ)3つとも赤い色が印象的だというお話。
(参)2は,装う前。どうして,あっち向いたりこっち向いたりしているのか。
(ナ)服装というより,化粧で装う。装う前だと感じたのはなぜ?方向についても不思議。
(ナ)2だけちょっと違うという意見だったが,3点の類似性についてどう思うか。
(参)左右の2点は似た感じ。赤い口紅が印象的。
左右の2点は芸術作品というよりも,ファッション誌の1ページに使われるようなもの。
また,商品,口紅の宣伝のために使われるファッションの写真のよう。
真ん中は芸術性が高い。写真の作品。
(ナ)1,3は商品の広告,2は芸術作品。2に広告のような商品性がないのはなぜ?
(参)売り出すものが出てこない。ルージュとか洋服とか。
(ナ)先ほど装う前という発言があったが,2からは,装うような要素(髪型・服・化粧)が見受けられない。
(参)2だけ,ボディがわかる。3は頭部。1は,上半身。2は女性,バストがある。
左右ふたつのものを,真ん中で肉体を見せることでつなげている。
具体的なものはないけれど,2で体を見せることで,女性の美しさを意識させてつなげている。
(ナ)真ん中は,あえて装いを排して,ヌード・・素の状態をつくることで左右の女性の美しさにつないでいる。
(参)3つとも女性の美しさがテーマだと思う。
体の線の美しさが真ん中であれば,左は女性をより美しくするための化粧。
ただし,右側は人工的な感じがして,ちょっと気持ちが悪い。
(ナ)みなさん,1は,どう見られたか。
(参)宣伝。化粧品を訴えたくて,あえて人物を意識から外さんがために,
アンドロイドのようなセルロイドのようなふうにしている。
(ナ)あえて,人間らしくないようにされている?それは,どこから?
(参)不自然な表情,無表情で無機質な感じ。
こってり塗った赤いルージュが,「これを使ったら,きれいになりますよ。」という感じ。
(ナ)ルージュを使った唇に焦点化させるためにあえて,無表情。
アンドロイドという言葉があったが,人間に似ているけど人間じゃない。
人間に似せられた人工物。それは,化粧品を際だたせるためである。
(参)真ん中は素の自分,左の絵の怒ってるような表情の人も素の自分,
右のお化粧してる人と左の絵の不気味なほほえみの人は,つくった自分。
本当は真ん中の絵のように素の自分はこうなんだけども,
あえて塗ったり無理に笑顔をつくったりしている。
「本当の私とそうじゃない私がいるんです。」というような。

(ナ)3枚全部から感じたということか。
(参)並び方に意味があるのかわからないが,
たとえば,真ん中のを外に出すと一つだけ異質で仲間はずれになる。
3枚に共通するのは,虚と実の状態。
真ん中のは二重像だが,うっすらした方が実に見える。
左右のものも,本物と偽物が入り交じる。
何が虚と実かというと,女が写っているから,女の虚と実かもしれない。
(ナ)うなずいている人がたくさんいる。一人の女性なんだけれどいろいろな顔がある。
「虚と実」ということは,先の生身の人間なのか作り物なのかということも含めて,
いろいろな見方ができる。
(参)一番右の作品は,ルージュが話題になったが,
爪も赤いのでマニキュアが赤いのもあるし,目にアイラインを入れようとしている。
それって,女性を美しく見せるための大事なところをきちんと押さえている。
口紅塗って,目力つけて,爪の先まで赤くするという。女が勝負をかけるみたいなところ。
左が,できた!みたいな。だが,そこになぜ人工的なマネキンを一緒に撮ったのかというと,
やっぱり生身の女の方がきれいでしょ,みたいな。
つくっても,作り物よりやっぱり生身の女の方がきれいでしょみたいなものがあって,
見せつけるためにあえて比較の対象としている。
美しいとして作られたマネキンより,さらに本物の人間の女の方がきれいよというのがあると思う。
真ん中はヌードだから,やっぱり女ってきれいでしょということを強調するように配してある。
この並びが,私は好きです。
(参)逆のことも考えられる。
右の作品は,頭の回りに包帯みたいなものが巻いてある。整形した後のようなイメージ。
胸のとこのバラが,ばらばらっと枯れて散乱してるんだけど,年を経て劣化していくけれども,
整形とかお化粧によって若さとか美っていうのはいくらでも作れるよ。
でも,最終的にはマネキンのようになってしまうけれど,
でも女性が美を追究する気持ちなり情熱には,果てはない。
(ナ)どんなにつくっても,生身の女性勝るものはないという先ほどのお話と,
でもやっぱり生身だからこそ劣化するけど,
女心でなんとかそれを補って美しくありたいという気持ちが表れているということですね。
(参)アイラインに関して,女性は眉毛で今日の自分をどのように見せるか決めていると聞いたことがある。
柔らかい自分にするかちょっときつい自分にするのか。1は無表情な眉毛をしている。
(ナ)ほかの作品の眉毛と比べて,どうですか。視線は3にも向いていらっしゃったが。
(参)1のように,口紅とアイラインを同時にかくことはない。
(ナ)一応まとめ,3点はみなさん,関連を感じられた。生身の女性とつくりものの女性。
整形をしているかもしれない,ちょっと手を加えた女性。
逆に自分の美しさを保とうとしているような,
つくりものには負けないという女性の意志や気持ちが感じ取られたのではないか。
赤が印象的で,女性のイメージに重なると思う。
(☆)「この3点について話すことで,化粧など外側を装う事ともに,美しくありたい,
老いてもなお美しくありたいという内面のことも,皆さんの発言からわかってきましたね。」
のようなサマライズ(まとめ)もあったのではないかと意見をもらった。
<振り返り>
参加者の発言後の対応に常に悩んでしまうことをメンバー振り返りで話した。
発言をなぞるような形で,参加者全員にその発言内容を示し確認をしていくのがよいのか,
発言の意欲やトークのテンポを保つため,ナビはあまりしゃべらず,
参加者がつぎつぎに話せる状態をつくるのがよいのか,ということである。
それに対し,「津室のパラフレーズは,おうむ返しが多い。
参加者皆が聞いてすんなりわかっていることは,繰り返さずにとばしてもよい。
発言をもっと端的に,きゅっと絞って返すようにすべき。」という意見をメンバーからもらった。
“皆がすんなりわかっている”状況がどのようなもので,パラフレーズが必要な場面とはどのようなものなのか
瞬時に見極めることが自分にはできていないという反省がある。
写真作品は,「敷居が高い」と感じる参加者の空気があったならば,
「見えているものから確認していきましょうか。」「なにが一番最初に目につきましたか。」
「印象でもいいですが。」など,発言しやすい問いかけでスタートしていくことも大切だという話になった。
参加者の沈黙についても話した。相手が質問の意図を汲んでいると思ったら,待つこともあり。
だが,ナビの質問が伝わっていないが故に発言がないとわかれば,質問を変える(ハードルを下げる)こともある。
投げたら(ナビが質問したら)必ず,返させる(応えさせる)ことが大切。
だから,「沈黙を怖がらない」という構えも大切である。
全員が沈黙している状態は,各自がじっくり考えている結果であることもある。
ナビが焦ってすぐに発言してしまうと,せっかくの思考を妨げることになるかもしれないということである。
指名の仕方は状況次第,ということも話題になった。
どんどん手が挙がって発言が続く場面でも,発言者は必ずしも直前の発言を受けている訳ではない。
全体の流れにより,自分の言いたいことが言えない状況になれば,意欲を失い挙げていた手を下ろすこともある。
そのような動きを見逃さず,話の流れがその人の思いに沿い始めたところで
改めてナビの方から発言を促すような配慮があるとよいということも学んだ。
話の流れも水の流れのように,量や方向をもつもので,なかなか思うようにはいかないのであるが・・・。
ナビの最終発言として,「最後にまとめると」とは言わない方がよいのではないかという意見ももらった。
トークの締めとして,「みなさんでこんな話をしましたね」「こんな話題で盛り上がりましたね。」
「こんなふうに見方が変わってきましたね。」「みなさんの話を聞いて,私は~のように考えました」などと
サマライズ(まとめる)できるとよい,ということである。
対話型鑑賞では,最初から最後まで自分の見方が変わらなかったということは,普通ない。
自分の見方が変わったと実感するとうれしい気持ちや得した気持ちになる。
そのためにも,鑑賞したぞという満足感や鑑賞者各自の“納得解”があると安心できるのではないか,ということも教わった。
一人でじっくりみるのもよいが,大勢の人と意見を交わしながらみることで,一人では到達し得なかった解釈ができたり,
変容する自分を感じることも,対話型鑑賞の大きなよろこびである。
参加してくださったみなさんに,すこしでもよろこびを得てもらえるよう,ナビ修行をしていきたい。
<みるみるの会からのお知らせ>
3月は松江と安来で対話型鑑賞会を行います。
一人でじっくり作品をみるのもいいですが、多くの方と意見を交わしながらみることで得られるよろこびもありますよ。
いかがですか?
旧村松邸(松江市新雑賀町)
3月21日(木・春分の日)14:00~
3月24日(日)14:00~
加納美術館(安来市広瀬町)企画展「愛しき島根」にて
3月31日(日)13:30~

※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます