ジョハリの窓のMiruba

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★残したものは?★

2012-03-25 | Weblog

 

あの忘れ得もしない東日本大震災3.11の追悼が各地で行われているときに、同じ11日アフガニスタンではイラクに3度も行っていたあるアメリカ兵士がアフガンの市民に発砲し殺害の上、死体を集めて燃やしたという残忍な事件が発生していた。頭部の怪我を受けたことがあり精神疾患ではないかといわれているが、まだ定かではないし、軍法会議で死刑になることも視野に入れているとの報道だった(一部H24.3.14読売新聞衛星版)

 

 

戦争や 武力介入に動員され、苛烈な戦闘を経験して帰還した兵士が、生死をわけた戦場からやっと戻っても社会生活の出来なくなるほど精神を病むことはよくある話で、アメリカ兵のベトナム戦禍の後遺症・イギリス兵なども入る湾岸戦争症候群、ロシア兵のアフガニスタン戦禍後遺症・チェチェン症候群などは知られたことだ。

昔の多くの戦争では研究されず認定されていないだけで、同じような心の病気はあったろうと容易に推察できる。

戦争に真の勝利はないし、勿論正義も大儀も無い。こんなことは誰でもわかっているのに何故、紛争はなくならないのだろう。

アフリカの内紛や、今安じている各国とイランとの摩擦、パレスチナとイスラエルのいざこざ、いったい何時になったらお互いが兵士を繰り出さないで済むようになるのだろうか。

 

乱暴なくくりになるのだが、9.11も戦争も内紛も、あちこちで起きる地震3.11の自然災害と原子力の災害も、多くの人が死んで犠牲になって、その土地は荒廃して、後遺症に苦しんでいる。天災でも人災でも、何故このように沢山の人が亡くならないといけないのだろうか、と嘆き悲しむ「時」がある。

結局、神が行う「人類の間引きだ」と思わないと、家族の死や、罪の無い子供達の死は受け止められない。神も仏もあるものか、と誰だって口にしてしまう。

とはいえ、国旗を燃やしたり、人に見かけた人形を燃したりして誰かのせいにして人を憎み恨んでいては、永遠に平和も安らぎも訪れないように思う。

神のそんな横暴を、諦めずに乗り越えようとする人たちがいる限り、かすかな未来が輝いてくるし、遠くに希望も見えてくる。復興と平和と心の平安を願わずにはいられない。

 

写真:テクノフォト高尾 高尾清延

 

死んだ男の残したものは♪森山良子 作詞:谷川俊太郎 作曲:武満徹

 

 

 

 

★残したものは・・★

 

アランはアリーという名前もあるのだが、10歳のときにイライラ戦争の砲弾で片足が不自由になった父親と、病気がちな母親とイラクからパリに移り住み、フランス国籍を取るときフランス名もつけたのだ。イラクに二人の姉がいたが、嫁いでいたので置いてきた。

 

その後親戚を頼ってアメリカに移住したが、頼りにしていた親戚が夜逃げをしてしまって、アランの親父はそれきり死ぬまで仕事には就かず飲んだくれて死んだ。母親は働きすぎて病気が酷くなり、アランは大学を中退して軍隊に入った。大学に入ったのだって仕事が無いので通ったのだ。

 

軍隊に入れば給料は遅配無く出るし、保障制度がよかったのだ。家は保障されるし食料保障や学費保障(大学や大学院へ入学可能)健康保険や生涯年金制度もあり、飛行機旅費が無料で、ボーナスまであった。アランは大学も再入学したのだった。

 

訓練だけで何もなければよかったが、湾岸戦争でアランはなんと、自分の母国を攻撃する羽目になってしまった。

姉が住んでいるイラクに攻撃を仕掛けることなど出来ない。軍隊を辞めようと思ったが、そうは問屋がおろさなかった。優遇された保証の裏には、命令が絶対だということだ。もし命令を拒否すれば、第一級の凶悪犯罪者として刑務所へ入れられるのだった。病気の母親に、心配かけたくなかった。

 

母親とはいつも携帯で話していた。休暇には、近場だが旅行にも連れて行った。

故郷のハトラを懐かしむ母親を、いつかきっと連れて行くと約束したアランだった。

 

風の噂で、姉達は外国に逃げたと聞いたのでほっとしたのだが、他にも小さいときに遊んだ友人達の顔が浮かび、

空爆だけのときも一心に神に祈った。終戦になったが、治安部隊として再度イラクにはいったとき地上戦となり、反政府ゲリラの爆弾をあびてアランは建物の下敷きになってしまった。

 

死んだアランの手には携帯が握られていた。

『ママ、元気?

忙しくて連絡できなかったけど、今日の作戦のあと、帰ることができるはずだったんだ。

今さっきまで、仲間のボブが痛い痛いといっていたけど、もう声が聞こえなくなった。きっと死んじゃったんだ。

ママ、ごめんね。ハトラには連れて来てはあげられなくなった。

 ああ、電源が切れる。

 ママ、一緒にまたパリにいき      』

 携帯の文字はそこで途切れていた。

 

アランの残したものは、
書きかけの母への悲しい便りだった。

 

 

 

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